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01/12(Fri)

第五中足骨手術後(受傷9日目・術後1日目)

翌朝は入室してきた夜勤看護師の挨拶ではっと目覚め、時計を見たら6時20分だった。
手術着のままなので汗を通さないためか、背中に寝汗をかいていた。
検温と血圧を測り、尿と便の回数を聞かれた。

そしてここでようやく心電図とオキシが外されて自由になる。
点滴もそうだが、こういった機器に繋がれているのが何よりストレスである。
これでやっと自由に動ける。

この時、夜勤看護師はあの小柄で乱暴な看護師だったので、ダメ元は承知で声をかけてみた。
「パジャマに着替える時、Lサイズをお願いしたいのですが」
案の定看護師はちょっと迷惑そうに眉を顰め、「それは日勤に頼んで」とけんもほろろ。
申し送ってくれればいいのにと思いつつも、想定内なのでおとなしく引き下がる。

ところが他の患者の検温などが終わると、看護師がもう一度私のベッドを覗き、「自分で着替えられる?」と聞いてくれた。
(やたっ!)とばかりに「もちろんです」と答えると、「じゃあ今持ってくるね」と言ってLサイズのパジャマを持ってきてくれた。
クソ忙しい検温時に着替えの手伝いはできないからと邪険にしたものの、そういえばコイツは自分でできるんじゃね?と思い直してくれたとしたら願ったり叶ったりである。

手術着を脱ぎ、上下ともパジャマに着替えて、ようやく人心地ついた。
ギプスシーネと包帯が巻かれているのでズボンに足を通すのは大変だが、落ち着いてやれば問題なかった。
右足には感覚が戻っており、指先を触ると、ちゃんと「触っている」とわかる。
しかし痛みは特にない。
腫れているのか全体的にぼわーんとした感じはあるが、麻酔が切れても痛みは全く感じなかった。

病棟も移動ができる人はトイレに行ったりしてわさわさし始める。
私もナースコールを押し、トイレに行きたいと伝えた。
看護師がトイレまで付き添ってくれ、「帰る時も必ずコールしてください」と言われる。

松葉杖を突き、1,2歩は介護のためパジャマのパンツの腰を持たれたが、私がしっかり歩くのですぐに手を離された。
看護計画にあった移動の保安であるから、計画は実行されねばならない。
再びナースコールを押すと、別の看護師による見守りのみで自分のベッドに戻った。
「もう大丈夫ですね。トイレは自力で行っていいですよ」
着々と自由を手に入れる。

やがて朝食になった。
食事を運んできてくれたナースエイドが私の状態を見て、「ベッドで食べますか?」と聞いたが、「椅子に座ります」と左足で立ち、さくさく移動してみせた。
先にトイレに行ったのは、移動の許可をもらって、ベッドではなく椅子に座って食べたかったからである。

朝食はごはん、みそ汁、じゃがいもとひき肉の炒め物、青菜のお浸し、ジョアいちご味であった。
薄味で健康的な食事は美味しくてぱくぱくと食べてしまった。
ジョアなんか飲んだのは何十年ぶりだろう。

食事をしていると、担当医が訪ねてきた。
私がもう椅子に座ってご飯をバクバク食べているので、「あ、足を下にしても痛みはないみたいだね。うんうん」と言う。
痛みもなく、夜もぐっすり眠れたと伝えると、以下のように説明があった。

「プレートじゃなくて、細くて小さなスクリューを2本入れたよ。ものすごく細いスクリューだから、ちょっとした衝撃とか、足首をぐねったりして重みがかかると簡単に外れちゃうんだよ。だから今後3週間は気をつけて、くれぐれも安静にしてね」

私は了解した旨を答えるとともに、こういった忙しい病院では担当医、ましてや院長に会えるのはこれが最後だと思ってこちらから声をかけた。

「先生、お願いしている職場への診断書なのですが、2か月の休業が必要と書いていただければと思います。」
「あ、わかった。書いとくね。」

これは確かに賢明な判断であった。
以降、担当医は退院するまで私に会いに来ることはなかったからだ。

薬もしっかり飲んで、お腹も一杯、家族が買ってきてくれた飲み物も飲めて大満足である。
食後は2度目の抗生剤(セファゾリンNa)の点滴があり、20~30分ほど管に繋がれた。
終了してから歯を磨くために洗面台に移動する。
食後は同室者が使うので、点滴が終わったくらいだとちょうどよい。

さて、点滴が外されて自由になると、またしてもやることがない。
横になってクッションに足を乗せ、ひたすら安静にしているか、テレビを見たり音楽を聴いて過ごす。
麻酔はもう完全に切れているのだが、全然痛くなかった。
むしろ包帯がぐるぐるに巻かれているので、温か過ぎてのぼせる感じが不快といえば不快だが、多分冷やすのはよくないと思ったので、これくらいがちょうどいいと思って気にしないようにする。

今日は208号室はわりと忙しい。
なぜなら足元のAさんが手術を受けるためだ。
昨日は自分が当事者だったので、手術がどうやって行われるのか客観的に見ることができなかったが、今日はAさんを観察することで昨日、自分がどうやって手術に向かい、どうやって戻ってきたのかを知ることができる。

Aさんは70代くらいの女性で、寝ている時間が長く、褥瘡ができているせいもあって腰が痛い時は車椅子に座って過ごしている。
よく喋る人で、看護師が子供に話しかけるような口調で声をかけると、そこからひとしきり様々な話が始まるのだ。
夫はいないらしく、息子であるDさんが身の回りの世話をしにくる。

私が入院した夜、その息子のDさんが、医師から手術の説明を聞くため見舞いに来た。
このDさんはものすごく声がでかいので、Aさんや看護師との会話が筒抜けである。
この日は「ゴマちゃんを持ってきた」と言っており、Aさんが喜ぶ声が聞こえてきた。
ゴマちゃん?と動けない私は訝しんでいたが、後で歯を磨きに行くときにさりげなく覗き見ると、確かに結構大きめのゴマちゃんのぬいぐるみがあった。

Dさんは手術が私と同じ水曜日と聞いていたから、水曜日に休みを取ったのに、なぜか延期になって木曜日になったため、手術日に休みが取れないということで看護師ともめ始めた。
それは確かに社会人としては困るなぁ…と思って聞いていると、看護師が去ったあと、しょうがないじゃないとAさんが言うと、Dさんがパニック状態になって声を荒げ、Aさんまで泣き出してしまった。

そんな中で唐突に、AさんがPTからリハビリ用に靴下と靴を持ってくるよう言われたと伝えたため、情報処理が追い付かないDさんは「僕はいくつものことはできないんだから、あれもこれも言わないで!」「どこにあるか探せません!買ってくるからいいでしょう!(Aさんは靴を買うのはもったいないから自分のものを探して来て欲しいと押し問答)」とさらにパニくってしまう。
それを聞いて「怒らないで」「なんでそんな言い方するの」とAさんはまた泣き出し、私もBさんもCさんも、Bさんの見舞客も皆、息を殺して推移を見守っていた。

やがて看護師が「先生が手術の説明するので」とDさんを呼びに来たので、病室はほっと息をついた。
職業柄こういった人には慣れているが、職場以外で会うとなかなかの緊張感である。
医師の説明が終わって戻ってきたDさんは落ち着いていた。
手術当日は休みが取れないので付き添えないが、夕方仕事が終わったら来るという事で落ち着いたようだ。
「靴と靴下、探してみるからね。なかったら明日買ってくるよ」とAさんに言い残して帰っていった。

私が手術を受けた昨日、Dさんはまた見舞いに来た。
しかし前日に持ってくると言った靴を買ってくるのを忘れたと、またしても騒ぎになり、二人で言い合ったのち、靴を買いに出ていった。
Dさんは1時間くらいで帰ってきたが、靴は買ってきたものの、今度は靴下を買ってきていないと気付く。
Dさんはここでギブアップとなり、「もういいよね、帰ります」帰ってしまった。
後でリハビリに来たPTが、「靴は手術後すぐに履けないから、むしろ靴下が欲しかったね」と言っていた。
彼には情報処理の許容量があるから、色々な人が色々なことを言うと混乱してしまうのだ。
誰かがメモでも書いてあげればちゃんとできるだろうに。

さてそのAさんも一日前の私と同じく昨日から絶食、今朝からは水も禁止になっている。
我々が朝食を摂っている頃に看護師による手術着への着替えがあり、点滴も始まった。
今日の手術は4件あるそうで、Aさんは1番目だという。(早くていいなぁと思った)
反面、4件もあるのにビリにでもなかったら悲劇だとぞっとする。昨日でよかった。
1番手の手術は10時からということで、看護師数人がストレッチャーに移動させ、9時50分頃に部屋を出ていった。

右隣の、いつも見舞客が賑やかなBさんは、看護師が「入浴しよう」と言って連れて行った。
Bさんは腕こそ吊っているがすたすたと歩いている割に入院期間が長いらしく、近々我々がいる所謂急性期病棟からリハビリ病棟に移ることになっているようだ。
しかし何やらそれが嫌なようで、入院初日に訪ねてきたPTに「移らなくてもいいんじゃないか」と訴えていた。
PTも無責任に、「私たちもBさんは移る必要ないんじゃない?と話してたんですよ」なんて言うもんだから、あ、こりゃ看護師に怒られるなと思ったら案の定。

また運悪くあのおっかない小だるまみたいな夜勤看護師に、「Bさん明後日部屋移動ですよねぇ」と言われたからさぁ大変。
Bさんはここぞとばかり、「リハビリの先生と話して、自分は移動する必要はないんじゃないかって言われたんですよ」「私もね、本当に移動は必要なのかなぁって思いますし…」とまくしたてる。

Bさん、抵抗はそこまでだ。
小だるまはあからさまに不機嫌そうな声で、「それはリハビリの先生の意見でしょ。ちゃんと決めるのは先生だからね」と冷たく一蹴した。
Bさんはもごもごと口ごもり、そこで話は打ち切られてしまう。
常にトップにいる医者はそこまでではないが、特に看護師に意見を述べる時は、院内の職制や力関係を理解した上で発言しないと、邪険にされたり、言った事を鼻で笑われるような扱いを受けるので、注意しなければならない。

Bさんの足元、私の足の斜め先にいる、自転車で交通事故に遭ったCさんは、相変わらず胃痛と吐き気で食事が食べられないらしく、今日は内科の診察を受けると看護師と話している。
リハビリや検査があるので、歩行器で何度も部屋を出入りしていた。
こちらとしては、皆自力で動けるんだからいいよなぁと思う。

Bさんが久々の入浴でさっぱりしたと戻ってきた頃、機器や看護師を数人引き連れた医師による回診が始まった。
担当医ではなく、昨日手術したとのことで足を見たが、明日退院という事で包帯を外すことはなかった。
私は痛みもないのであっさり終わったが、同室の皆さんはあそこが痛いのここが痛いの、胃が痛くて食べられない駄の、リハビリ病棟には行きたくないだのと盛んに訴えていた。

少し遅れて麻酔医も来て、痛みはないか、感覚はあるか、痺れなどはないかと聞かれた。
私は痛みも痺れもなく、感覚もあるし指先も動かせると答えた。
ただし、昨日は麻酔が利いていて痛みも感覚もなかったが、親指側が攣っていたようだと言った。
「ちゃんと先生に相談した方がいいよ。薬くれるから。」

やがて昼食になった。
昼食は温うどん、卵焼き、ブロッコリーのカニかま和え、フルーツヨーグルト。
目先の変わる温かいうどんは嬉しい。

つるつるとうどんを食べていると、手術を受けていたAさんが戻ってきた。
看護師数人で「せーの」と移動され、酸素マスクをはめられているようだ。
「お水は明日までダメよ」
そう言われているのを聞いて仰天してしまった。

ヤバい、自分だったらとても耐えられない。
実際は私は術後2時間でお茶を飲むことができたが、もし手術が最後だったら、水分摂取の許可は夕食時間を過ぎただろう。
当然夕食は抜きで、翌日の朝食まで何も食べられなかったのだろう。
「まさか3食抜きはないだろう」というのは甘い考えであった。

Aさんの声はほとんど聞こえない。
覚醒はしているのだろうが、痛みがあるのかどうかも言葉が聞こえないのでわからない。

服薬し、午後になるとまた見舞客やリハビリへの移動が始まり、病棟がにぎやかになってくる。
骨折ブログでは手術をした人には手術後はひとしきり「痛い」「激痛」という文字が並び、その後おおよそ二通りに分かれる。
すなわちギプスでがっちり固められる人と、PTによるマッサージやタオルつかみなどリハビリが始まる人だ。

この差がわからない。
すぐにリハビリ開始の人は、プレードやボルトでがっちり止められ、後に必ず抜釘手術が必要になる人が多い。
「手術をした方が早く治る」の典型はこれであろう。実際、私の家族もこのタイプだった。
反面、わざわざ手術をしたのに、その後1か月以上もギプスで固定され、しかもそれがきつ過ぎて、神経障害の後遺症を残してしまったなんてパターンもあるようだ。

さて、では私はというと、リハビリは一切行われなかった。
担当医が言ったように、「安静」が最優先されたのだ。
ただしギプスでがっちり固定するのではなく、ギプスシーネで患部のみを覆い、包帯で固定するというものだ。
傷は守るが、受傷当初のように踵やふくらはぎまで固定しないので、ストレスはほとんどない。

今日は、医師も看護師も皆「明日退院ですよね」と念を押すので、当日バタバタしないように荷物を整理し始める。
そのうち家族が見舞いに来たので、手術のことを話していたら、16時頃に若い男性PTがやってきた。
「松葉杖の使い方を観させてほしい」とのことだったので、杖を突いて廊下に出る。

最初に受診した病院で合わせてもらった松葉杖の長さが合っておらず、まずそれを調整してもらった。
また、杖のスタンスを開きすぎているので腰幅くらいにするよう言われたのだが、そう意識した途端、松葉杖が腰骨や太ももにひっかかって逆におかしな歩様になってしまった。
フォームを直されたピッチャーのように、ちゃんとできていたことがなんだかうまくできない。

その後、階段の昇降のため非常階段へ向かう。
上る時は健足の足を上げて段を上がってから、松葉杖と患足を上げる。
降りる時は患足を前に出し(後ろだと引っ掛かる場合があるため)、両側の杖と患足から降ろす。
なお、手すりがある時は杖ではなく、必ず手すりを使う。

…って、こんな怖いことできるか!

少なくとも杖を突かなければ歩けない状況で、仕事に出たり階段を昇り降りしないと心に決める。
とはいえ、階段は登らなくとも町に段差というものは存在し、それを越える時は役に立つ。

「うーん、まぁいいでしょう。転倒しないように気を付けてくださいね」
ありきたりなことを言われて、歩行訓練は終了した。
入院中に杖移動はずいぶん上手になったと思っていたのに、実は間違った歩き方をしていて、あれもダメこれもダメで自信喪失である。

病室に戻ると、家族から私が留守の間に事務員が来たと請求書を渡された。
この時私が事務員から直接説明を聞けなかったため、後々退院の手続きについてよくわからず困った。
入院時はアホみたいに書類があるのだから、退院時にも支払いなどの説明書類を用意しておいてもらえるとありがたいのだが。
家族は17時過ぎに帰っていった。

Aさんは検温のたびに看護師に小さい声で何か言っているようだが、おとなしくしている。
後の看護師との会話からすると、術後はしばらくうつらうつらと眠っていたようだ。
昨日の私と違い、夕食時間が近づいても水分すら飲ませてもらえていない。
私より早い時間から手術したはずなのに大変だなぁと思う。

そこへ、息子のDさんが訪ねてきた。
「お疲れさまでした」とDさんが言うと、Aさんが「踵が痛い」と言っている。
手術したのは膝らしいのだが、ずっと同じ姿勢で寝ていたので、布団に当たって踵が痛くなったようだ。
褥瘡ができやすいところなので、看護師からも「定期的に体の向きを変えるように」と言われている。
Dさんはまた明日来ると言って帰っていった。私はついに、彼の姿を見ることはできなかった。

夕食は、ごはん、チキンのクリーム煮とニンジンの付け合わせ、ジャガイモとピーマンのきんぴら、きゅうりの和え物、みかんである。
来週水曜日の夕食が選択食なので、AかBに〇をしてお盆に乗せるよう紙が入っている。
来週の水曜日どころか明日の昼食は家で食べているはずなので、用紙には「明日退院です。30年ぶりの入院でしたが、とても美味しかったです。」と一言書いて戻した。

夕食後はAさん同様、私も抗生剤の点滴。
これも明日の朝もう一回で終了だという。
一日絶食のAさん、酸素マスクも外れていないし、看護師が来るたびに「お水飲んでいい?」と訊ねていたが、「明日までダメ」と言われていた。

歯を磨いて寝る準備は万端だったのだが、これからが大変だった。
「明日は退院」と思うと嬉しくて全然眠れない。
遠足前の子供じゃあるまいし…と思うが、実は私は海外旅行から帰ってくる飛行機の中でも、日本に帰れることが嬉しくてさっぱり眠れない。
逆にそのおかげで、これまで時差ボケというものに悩まされたことが一度もない。

足は相変わらず痛みはないのだが、包帯で巻かれ、温か過ぎてのぼせた感じがうざったい。
クッションに乗せて高く上げ、目をつぶってなんとか寝ようとするのだが全然眠れない。
起きたと思ったら退院日だった!という喜びを味わいたいのに、そのせいで逆に興奮して眠れないのだ。

11時、12時、1時と時間が過ぎていく。
30数年前に入院していた時は、真夜中に懐中電灯を持った夜勤看護師が見回りにきたものだが、今回の入院では私が起きている間、看護師が様子を見に来ることはなかった。

音楽を聴きながら、4時を回ってもまだ眠れないので、こりゃ完全に徹夜かなと思い始めた頃、Aさんがナースコールを押して看護師がやってきた。
Aさんは術後うつらうつらしただけで、体の痛みやだるさからか一睡もしていないようだった。
この時もどこかが痛いと言って、しばらく体位の変換などを行ったあと、看護師が小さい声で「ちょっとだけよ。むせないでね」と水を飲まぜてあげていた。

「ありがと」というAさんの声を聴いて、ほんとはダメなのかもしれないけど、やっと飲めてよかったなーと思い、どうやら私もそのまま眠ったようだ。
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