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2009/06/05 (Fri)  00:08

モノマネ脳

実は私、物真似が得意である。

できるのは芸能人の物真似ではない。
別部署の上司とか、ちょっと変わった話し方をする人や、
癖のある電話での応対をする人など、人間が日常的に
見せるふとした仕草を捉えて真似するのが得意なのだ。

職場やクラスにもこうした人はたまにいるだろう。
そういう人たちは他人の特徴を捉える事がうまい。
観察力が優れているともいえるのかもしれないが、
私は最近、この「相手の特徴を瞬時に捉える」ことも
音を聞けば何でも音階に聞こえてしまうとか、音を聞くと
脳内で色が示されるといった、特定の人が持つ能力的
「絶対感性」に似たものではないかと思い始めている。

身近な人の「物真似」を、非常に嫌う正義感の強い人が
いる事もよく知っている。物真似は時にその人の悪い点、
コンプレックスとなりうる点を「あげつらう」事になるからだ。

そういう悪意のある人も確かにいる。昔の小説にもよく足を
引きずる真似をして見せたとか、不自由な手の使い方を
真似て笑い者にしたなどという描写が出てくるからだ。

そう言われる事は最も至極と思う。
だから私も本当に親しい人の前でしかやらないし、ましてや
物真似の宝庫である仕事場では本人の耳に入って無用な
軋轢を生む事を考慮してなるべく行わないようにしている。
物真似は最も下世話な「芸」という部分も理解している。

しかし実は私にはその人に対する悪意や笑うつもりなどは
全くないのである。ただ単に、その人がフツーに行っている
行動特徴が際立って見えてしまうのだ。声のトーンの高さ、
しゃべり方、受け答えの癖などが自然に入ってきてしまう。

音や色を普通の人以上に敏感に捉える人がいるように、
相手の特徴がスルッと入ってくる。そして記号として居座る。
引き出しを開ければその特徴が飛び出し、即真似ができる。
その人がどんな事をしてどんな事を言うかは知らなくても、
その人の動きやくせやしゃべり方は簡単に流れ込んでくる。
意識しているわけではないので、その人が目の前からいなく
なれば忘れてしまう。普段の姿が見えないと特徴は掴めない。

そう、私は歌手や俳優の物真似はあまりできないのだ。
おそらく彼らの仕草はドラマだろうがバラエティであろうが
インタであろうが、カメラの前では彼らの「演技」だからだろう。
それは決して日常的動作ではなく、非日常的動作だ。
私は常に彼らを見ているわけではないので、日常的に
行われる細かな仕草の特徴を捉える事ができないのだ。
私が捉えられるのはあくまでも「普通の人が普段何度も
繰り返す日常的動作の特徴」であって「芸」ではないのだ。

だからこそモノマネのプロは本当にすごいと思う。
特徴を抽出し、それを練習したりより大げさに表現して
誰にでもわかる技術(芸術とまでは呼べないけど)にまで
高めるのだから、普通の人が思う以上に血のにじむような
努力をしているはずだ。むしろ身近な人の物真似が上手な
人の方がプロの物真似がいかに大変かわかるかもしれない。

「○○さん」と聞けばああ、こういう感じ…というように、
はっきりした具体的な記号であり、同時に曖昧で抽象的な
雰囲気で捉えているそんな矛盾があるといえるかもしれない。

その人の悪いところをわざわざ探しているわけではない。
たまたまもっとも特徴的なところが「悪いところ」だったり、
強いコンプレックスを持つ部分だったりするだけだ(そういう
コンプレックスやウィークポイントこそが最もその人を象徴する
「特徴」になっているということは痛烈な皮肉なのかもしれない)

もちろん正当化してるだけだと言われても言い返せない。
何を聞いてもドレミに聞こえる事は、時々は不便な事も
あるかもしれないが、それが誰かを傷つける事はなかろう。

しかし物真似は時に他人を深く傷つける。
だから私はめったな事ではやらない。物真似は相手の
悪い部分をつまみ出し人目にさらしてあざ笑う下品な
行為だと私をたしなめた相手が、私がリスペクトする
人物だったという事もあるし、もし自分が真似をされたら
確かに決していい気持ちはしないだろうと思うからである。

けれど物真似を披露しないからといって、日々自然と
掴んでしまう相手の特徴が入ってこないわけではない。
例えば私は今の職場の座って声が聞こえる範囲内に
いる人たちの電話の応対は全て模写する自信がある。
声が変えられるならソックリな応対をしてみせたいほどだ。

ま、でも流れ込んでくる情報の抜きどころがないなどと
悩む必要はないのでいいんだけど(普段は忘れてるから)

***更新***

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