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2018/03/22 (Thu)  18:43

雪は歩行訓練の大敵(受傷後55日目・術後47日目)

2018年1月22日(月)、東京を大雪が襲った。

雪国の人が見たら呆れるレベルの雪でも、何しろ脆弱な都会は雪に弱い。
交通機関は大混乱、テレビでは雪だというのに自転車に乗ったりハイヒールや革靴で出かけるバカな連中がすってんころりんとこけまくっており、車はスリップして途方に暮れている。

私は「こんなバカな奴らは全員骨折しろ!そして私のように骨がくっつかないと悩むがいい!」と呪いの言葉を吐きながら、せっかく歩けるようになったのに歩行訓練ができない憂さを晴らしていた。

家に帰ってからは、改めて体重計を出して1/3荷重というのがどれくらいの力になるのかを計測した。
骨折ブログで、ちゃんとPTについてリハビリをした人は、こうやって荷重の状態を知ったと書いてあったので、誰もついてくれない私も真似をしてみたのだ。
ただ、今はまだ両足で乗ることができないので、自分の全荷重体重がよくわからない。
なので大体これくらいだろうと思われる体重の1/3を目安にすることにする。

ところが面白いことに、片松葉で計るとどうしても1/2荷重になってしまう。
1/2荷重は許可されていない上に、実際に体重をかけてみると右足が「いやいやいや、まだ無理無理!」と訴えかけてくる。
もちろんオカルトではあるが、自分の足の悲鳴に耳を傾けることは大切であろう。

そこで両松葉で荷重してみると、無事1/3にできた。
先生は片松葉でもいいと言ったが、1/2荷重が許可されるであろう次の診察までの1週間は、歩く時は両松葉がいいと判断した。

しかし大雪のおかげでいきなり外出ができない。
スーパーにも行けないし、お茶を飲みに行くこともできない。
せっかく歩けるようになったのに、廊下すらも雪が吹き込んでいるので歩けないではないか。
結局今まで通り、風呂に入ったり、ソシャゲのイベントをこなしたり、ブログを書いたり、アニメやバラエティなどを見る以外やることがない。

それでも実家と違い、にぎやかな地域にある我が家はいつも雪かきがなされているので、雪が降った翌日の夜には松葉杖で外に出てみた。
なぜ夜なのかというと、昼は人通りが多すぎるので、人を避けたり、慌てて松葉杖の突き損ねがあったりするとおっかないからである。

予想通り、人の通る道は大まかな雪かきがなされており、さほど濡れてもいなかった。
とはいえ慎重にぐるっと周辺を歩いてみたのだが、まだまだ雪は残っている。
松葉杖が滑らないようしっかりと突き、荷重に気を配りながら歩く。
家路を急ぐ人の多くはもたもたと歩く私を見ると避けてくれるが、避けた先にはまだ雪が積もっているので、やはりもう少し道路が整ってからでないと、自分にも周囲にもよろしくないようだ。

東京ではたとえ雪が降っても、翌日から天気が良くなってすぐに融けるのが常なのだが、この時は寒波が居座り、珍しくなかなか雪が融けなかった。
結局私が安心して外を歩けるようになったのは診察日の前日頃であり、それまで廊下を何往復か歩くくらいでは大した歩行訓練にもならなかった。

仕方がないので、頻繁に行ったのがタオルギャザーである。
タオルを床に敷き、足の指で手繰り寄せるあれだ。
足底の力を鍛えてアーチを保ち、外反母趾の防止のためによく行われる。

これまでは安静第一で指を動かしてはダメだったが、歩いていいならこれもいいはずである。
やってみると、健足の左に比べ、患足は明らかにヘタクソだった。
指は思ったよりはスムースに動くものの、左よりぎこちなく、何より動きが固い。
つくづく、体を動かさずにいると筋肉や筋はこうやって拘縮していくのだろうと思わせる。

他者のブログでは、リハビリで行う時は15分ほどやるようだが、これがまた退屈極まりない。
仕方がないので、テレビを見ながらせかせかとタオルを寄せる訓練を続けた。
本当に、せっかく歩けるようになったのに、雪とは全くもってついてない。

しかし一方、診断書を送った職場から連絡があり、私がやらなければならない面倒な仕事が今年からなくなったという朗報がもたらされた。
つーか本当は私の仕事ではないのに、なぜかやることになっていて憂鬱だったのだ。
なくなったことは喜ばしいが、当たり前に戻っただけである。

ようやく光が指したと思ったのに、なかなかうまくいかない受傷後8週目、術後7週目なのだった。
2018/03/22 (Thu)  12:37

第五中足骨骨折の右足、1/3荷重へ(受傷後52日目・術後44日目)

手術後6週間が経ち、6回目の診察の日がきた。
正月気分はとうに抜け、1月も終わりが見えてきた頃である。
天気予報は週末が終わると東京にも雪が降る、しかもかなり降りそうだと警告を始めていた。

いつものように松葉杖を突いてよちよちと病院に向かったが、オカルト現象の通り、右足は「もう地面に足をついてもいいよ!」と言っているように軽かった。
そのため、いつもは小さなショルダーを持っていくのだが、この日はリュックを背負った。
右足用のスニーカーを入れるためである。
もしかしたらギプスシーネが外れ、帰りは靴を履いて帰ってこられるかもしれないと思ったからだ。

整形の客より風邪の客が多い待合室では、いい席に歩行には不自由のなさそうなおっさんが座っていたので、譲ってはもらえなかった。
奥が空いていると声をかけてくれるおばさんはいたが、松葉杖で狭い奥に行くのはやはり怖くてできなかったので断り、立ったまま順番を待った。

診察室に入ると、まずは職場からもう一か月休暇をもらえることを伝えた。
それを聞くと先生は喜んでくれ、「よかったね、だったら安心してリハビリできると思うよ。今日のレントゲン次第で歩けるからね」と言われた。

その後ギプスシーネを外して傷の様子を診てもらい、レントゲンを撮った。
まだ隙間は空いているものの、素人目にも隙間に白いもやもやができているのがわかった。

「うん、いいね。大丈夫。じゃあ、ギプスシーネは取ろうか」

やった!
右足が言うように思った通り、ようやくギプスシーネを取る許可が出た。
足を地面についてみるよう言われ、痛みがないことも確認した。
そしてついに、私が常々思っていた通りの言葉が告げられた。

「うん、じゃあ、1/3荷重から始めようか。いけそうなら片松葉でもいいよ。転ばないようにだけ気を付けて、もうどんどん歩いていいからね」

そう、案の定「リハビリをすっ飛ばして歩いてよい」と言われたのである。

そしてこう言われると、私ももう今更リハビリをやりたいなどとは思わない。
何よりかにより歩きたい。
今はとにかく「人間らしく」立って歩きたかった。

「また1週間後に診察しようか。そこでよければ1/2荷重、2月には松葉杖なしで全荷重でいこう。今日は靴持ってきた?」
「持ってきました」

いい年こいたババァであるからシンデレラとはいかないが、スニーカーのひもを解いてぐいと広げ、傷に当たらないように履いてみる。
思った以上に固まった足首が、人間の足があるべき形を取り戻し、2か月半も足をつくことができなかった足底が、久々に正しい状態で地面にしっかりとつかれた。

ついた!足がついた!!

この時の感激は言いようがない。
傷ついた右足がようやく、本当にようやく還ってきた。
足首が固くなった違和感はあるが、痛みなど微塵もない。
不安なことも、力が入らないことも全くない。

喜びに打ち震えるとはこのことである。
骨折をした人ならこの喜び、わかってもらえるだろう。
痛みはあっても目に見えて治っていく怪我でも、鼻水や咳が止まる風邪でもなく、「歩ける」とか「動かせる」ことが喜びとなるのは、長く可動制限のかかる骨折ならではであろう。

その後、私はギプスシューズをリュックにしまった。
そして手術をしてからずっと相棒だったギプスシーネは、「これは処分しておくね」と先生が引き取ってくれた。
今思えば持って帰ってくればよかったが、その時はスニーカーを履いて軽くなった右足が嬉しくてほいほいと渡してしまったのが悔やまれる。

まだ両手で松葉杖はついていたが、待合室に戻った私は両足を地面についている。
1/3荷重というのがどれくらい力をかけていいのかわからないので、歩いているのはほとんど左足なのだが、それでも踵歩きなどとは比べ物にならない安定感である。

診察代を払い、診断書を受け取る間も有頂天である。
いつ来てもこの待合室で一番の重症者だった私が、松葉杖はついているとはいえスニーカーを履き、普通に立っている。そして歩いている。

この日、踵を上げてよちよちと歩いてきた道を、スニーカーを履き、一歩一歩踏みしめながら帰った。
家に着くとさっそく家族に歩行許可が出たことを伝え、皆、一様に喜んでくれた。
さらに車を出してくれるというので、久々に実家に帰ってゆっくり過ごした。

ちなみに家族はずっと、動けないのだから帰って来いと言ってくれていたのだが、私の「一人でよい」という意思を尊重してくれていた。
本当にありがたいことである。

家の中では片松葉で歩き、トイレにもプッシュアップではなく立って行けるのは嬉しい。
お茶も立ったまま入れられるし、自分で運ぶことができる(立つことはできても運ぶことができなかったのでこれは嬉しい!)

何より、サポーターをしてもカサカサになっていた膝を、これ以上酷使する必要はない。
陸に上がった哀れなアザラシから、急に原始的なサルに進化した感じ。
まだ完全な二足歩行はできないが、もうじき進化して立つぞ!歩くぞ!というところまできたということだ。

足首は固いが、力は入るのでふらついたりすることはない。
さすがに階段はチャレンジできないが、風呂に入るのも片松葉が可能になれば非常に楽になった。
家族にはコンビニにも行こうと言われたが、さすがにまだ家を出るのは勇気がいるので、もうちょっと自信がついたらと断った。
そして診断書とワードで打った手紙を職場に郵送してもらった。

正月以来、長く会えなかった犬や猫にも囲まれ、もふもふした幸せな時間を過ごせたが、今回は長くはいられない。
なぜなら雲行きが怪しいからである。
雪の予報はますます深刻になり、どうやらかなりの大雪に見舞われそうだということになってきた。

雪が降れば、まだ松葉杖がなくては歩けない自分は、外を歩くことはかなり困難になる。
たとえ車で移動しても、わずかであれ雪の残る地面を歩くことになるため危険だ。
しかも実家は玄関に段差があり、今でも松葉杖で昇降するのは慎重さが求められる。
加えて北向きであるため、我が家の玄関やその前の道路は、例年雪が降ると雪融けまで1か月以上かかることもざらである。

従って雪が降るとなれば、「雪が融けにくい実家にいて、1週間以上閉じ込められる」か、「雪が融けやすい地区の我が家に帰り、早めに歩行訓練をする」かを選ぶことになり、私は当然後者を選んだ。
休みが一か月伸びたとはいえ、万全な状態で仕事に復帰しなければならない身としては、一刻も早く歩行訓練をしたかったのだ。

雪が降る前夜、再び車を出してもらって家に帰った。
そしてそれからさほど経たない夜半から、雪がしんしんと降り始めた。
予報通り容赦のない大雪が襲い、ご存知の通り雪に弱過ぎる東京はいつもながらの大騒ぎとなったのである。
2018/03/21 (Wed)  16:37

自信がない時の地震(受傷後48日目・術後40日目)

5週目を過ぎてもギプスシーネが外れず、アザラシ生活が続くことになり、受傷当時は「手術するんだからすぐくっつくだろう」と楽観的だった私も、さすがに不安感に包まれるようになった。

何か問題があるなら自分でも「まだ無理だな」とわかるのだが、手術してからはほとんど痛みがなく、むくみも日々解消していくのだから、逆に「これでなぜ治らないのか」という疑惑が不安に変化してしまうのだ。

ましてや2月から仕事に戻るなど、床を這いずっているこの状態では怖くて無理である。
体力的にも自信がないし、かかとしかつけないのでは松葉杖で歩くレベルですらない。

真冬の寒さがしんしんと身に染みる頃、私も悶々と日々を過ごしていた。

物資については2回目のネットスーパー利用や、立ち寄ってくれた家族に頼んで潤沢だったが、この時期、それよりも怖いものがあった。
東京にいる人なら覚えていることと思うが、年始、2回ほどやや大きめの地震があったのだ。

確か1月5日と6日だったと思う。
特に5日は久しぶりにあの恐怖の警報が鳴ったのでぞっとした。
結果的には全く大したことはなかったのだが、いつもと違うのは何しろ「何かあってもすぐには逃げられない」ということである。

これには参った。

もちろん車椅子や寝たきりの人に比べればいざという時は動けるだろうが、パニくる人たちが駆け降りる非常階段で、座ったまま一段ずつ降りる、または手すりを使ってそろそろと降りるなど、到底不可能に思えた。

ああ、今地震や火事で外に避難しなければならなくなっても、今の私は諦めるしかないと覚悟を決めるしかなかった。
少なくとも救助が来るまで籠城するなら、食べ物はともかく水は確保しなければならないなぁとぼんやり考えたりもした。

しかも、周囲に私が怪我をして動けないと知っている人はいない。

いや、まぁ実際にはマンションの管理会社の清掃の人たちは顔見知りなので、私がギプスシーネと松葉杖で歩いている姿を見、びっくりして事情を聞いてくれたりはした。
あと同じフロアにも、入居当時からなぜか私を気にかけてくださる方が何人かおり、骨折した姿に驚かれたりはしたのだが、無論、図々しく甘えられるような関係ではない。
(私は割と近寄りがたい容姿や雰囲気をしているらしく、基本的に人からは敬遠されがちなのだが、なぜか逆に妙に親しみを持ってくれる人もいるのが、昔から非常に不思議である)

家族に連絡が取れるならよいが、その手段すら断絶した最悪の事態を思うと、つくづく、人間は一人では何もできないと思い知る。
逆に、そういう非常時に自分が五体満足なら、困っている人を助けなければならないとも思い知る。

もとより私はそうした弱い立場の人々を日々相手にしているのだが、自らが弱者になって初めて、本当に助け合いの大切さを理解できるとは愚かしい。
今後はこの経験を活かし、教訓として努々忘れないようにしたいと思う。

とにかく、この1週間は今思い出しても地獄であった。
怪我をしたこと、手術したのにがっちりとは留められなかったこと、12月の過ごし方、骨の隙間が埋まらないこと…ぐるぐると後悔や疑念や苛立ちや怒りや不安が渦巻き、怪我をしてから最も精神的に悪い状態だったと思う。

とはいえ、物が食べられなくなるとか眠れなくなるとか、そんなヤワな精神は持ち合わせていないので、悩んだ後に「ポプテピピック」を見て「やべぇ、すげークソアニメだ!」と爆笑したり、5年間完全無課金で続けているソシャゲをさくっとクリアしたりしていた。

だが反面、次の診察が近づく頃、足の状態が少し変わったような気もした。
それまでは傷めた右足自身が「絶対絶対足をついちゃダメ!」と警告しているような気がしていたのだが、この1週間が終わる頃には「そろそろちょっとだけならイケそう」と合図してきた気がしたのだ。

自分の足と話す人…なんというオカルト!!

けれどこの私のオカルトな予感は正しかった。
そして今度こそ本当の本当に、待ちに待った回復へと向かっていくのである。
2018/02/20 (Tue)  23:53

まさかの延長(受傷45日目・術後37日目)

第五中足骨の手術後、5回目の診察日である。
この日もよちよちと歩いて診察に向かい、レントゲンを撮り、診察が開始された。

絶望的なまでの隙間は、相も変わらずがっつり開いたままである。
私も一生懸命目を凝らして間に白いもやもやが確認できないか探したが、素人目には先週と変わったようには見えなかった。

先生もさすがにちょっと考え込むような様子だった。

「仕事、いつからだっけ」
「2月の予定です」
「そっかぁ…うーん…」

それでもこの状態がいいのか悪いのか説明はない。
私も相変わらず聞くことができない。

「まぁ2月なら…来週から荷重かなぁ…」

なんとも歯切れの悪い、思わしくなさそうな口調である。

「ホントはもう少し休めるといいんだけど、無理だよね」




ガーン。




説明がないままではあるが、ここまでくればバカな私でもわかる。
そう、つまり「休めるなら休んだ方がいい」状態だということだ。

思ったように治っていない。
それがはっきりとした瞬間である。

確かに、手術をした担当医だって「1か月で荷重開始」と言っていたのだから、1か月どころか5週間を過ぎた今は、もうとっくに荷重が始まっていていいはずなのだ。
なのに明らかに「まだ荷重が始められない状態」だということだ。

休みを延ばせないかと言われたことより、状況が非常に悪いという事が何より衝撃であった。
ぶっちゃけ、私などいてもいなくても同じ職場なので、休みを延ばすことはできるだろうと思う。
しかしそんなことよりショックなのは、「治ってない」または「治りが非常に悪い」という事実が突き付けられたことである。

「職場に連絡してみます。大丈夫だと思いますが、次回返事を聞いてきます。」
「あ、そう?なら診断書書くよ。その方がいいと思うよ」

いやいや、もうここまで読んでくれた人はなら、「つーか、いい加減自分の状態を医者に聞けよ!」と思っているのは重々わかる。
私だってこれが他人の書いたものだったら、「あー、イライラすんなーコイツ。うじうじ思い悩むならスパッと聞けよ!」と思うだろう。

しかしここまで来ても聞けないのだ。
というか、先に行ってしまうと最後まで症状については一言も聞けなかった。
聞くべきことはわかっているのに、ひとつも問い質せなかった。
小心者、根性なし、口先野郎と笑ってくれてかまわないが、性格的に無理である。
よくわかってはいるが無理である。

なお、この日は手術痕にできていた大きなかさぶたをメリメリと剥がされて仰天した。
何しろいきなりピンセットでバリっと剥がされたのである。
ギャッと騒ぐほどの痛みはなかったが、それなりにピリッとする痛みはあり、じわっと血が滲んだので久々にガーゼを当てられた。

「傷はもっと綺麗になっていくからね。お風呂はいつも通り入っていいよ」

かさぶたが剥がれると、再生されたピンク色の生々しい皮膚が醜く盛り上がっているので、このまま痕になるのではと心配になるが、先生の言う通り、この後どんどん綺麗になっていった。
そしてまたしてもがっちりとギプスシーネを装着され、安静第一が続くことになった。

あのがっつり開いた隙間だもんねー、リハビリとか荷重訓練なんか到底無理だよねー、ははは…と自嘲気味に家に帰り、嘆息するしかない。
このアザラシのような生活は一体いつまで続くのか。
もはや先の見えないトンネル状態であった。

職場に電話を入れ、そろそろ埋まり始めるはずの骨と骨の隙間が、全く埋まっていない状況を説明する。
もう1か月休みを延ばすことについては、予想通り問題なかった。
いや、まぁ、上司的には問題ないだけで、口が悪く民度の低い同僚たちは恐らく怒髪天を衝いているだろう。

が、もはやそんなことは知ったことではない。

私にとっては仕事やオーバーワークになってしまう同僚より、私自身の身の方が百倍も千倍も万倍も大切だからである。
怪我をしたばかりの頃の、同僚への申し訳なさや謙虚さなど、お空の彼方に吹っ飛んでいた。

もはや怪我をして世間から隔絶されている自分をいかに社会復帰させるか、それしか考えていない。
自分中心でないと療養などやっていられないし、そもそも療養にならない。

既に先週の診察以来、「本当に治るのだろうか」という不安と焦りで暗黒に染まり始めていたが、今週はいよいよ闇が濃くなり、ついに真っ暗になってしまった。
骨折ブログを書き始めた12月には、1月の今頃はもうさすがに歩行訓練を始めているだろうと思っていたのだが、予想に反して歩くどころかギプスシーネすら外れていない。

自分は先が全く見えない状態の中にいるのに、書き始めてしまった手前、ちょうどこの頃は入院や手術や退院した直後あたりのブログを書いていた。
しかし意気揚々としていたその頃とは違い、その先に待つ「現在」という「未来」がわかるだけに、ブログを書くのもなかなかのストレスであった。

この「暗黒の2週間」は、怪我をしてから最も暗く陰鬱な期間として、治癒までの道に立ちはだかることになった。
2018/02/20 (Tue)  22:55

もやもや1週間(受傷43日目・術後35日目)

先日、ネットスーパーの利用について「イトーヨーカドーにすればよかった」と書いてしまったので、なんだか西友がダメだったような感じになってしまったが、そんなことはない。
ホウレンソウやピーマンなど、生鮮食料品のみずみずしさと品の良さは予想以上で、イマイチ目利きのできない自分が選ぶよりずっとよい野菜を食べることができた。
肉類も質がよく、量に比して価格もお手頃でとてもお買い得だったと思う。

結果的には合計2回の利用だったが、もし次回利用することがあったら、なんだかんだでまた西友を選んでしまう気がする。
徒歩で大きなカートを運んできてくれる配達人さんが、テキパキしていてとても感じがよかったのもある。

しかし正直なところ、ネットスーパーを使わなければならない状況にはもう二度となりたくない。
自分の足でスーパーに行き、自分の眼で品物を選び、自分の手でお会計することこそが真の幸せである。

成人式の振袖事件に沸いた(?)三連休を挟み、正月気分はすっかり抜けたものの、私の骨折は相変わらず進展はなかった。
2月から仕事に戻ることになっているのに、1月も1/3が過ぎようとしている現在、歩くどころか立つこともできず、片松葉にすらならず、陸に上がったアザラシのようにのたのたと床を這いずりまわるばかり。

いつものようにアニメの新番組シーズンが始まったが、時間があるので視聴に追われることはなく、おかげで気は紛れたものの、かといってブログを更新することもままならない。
なぜならブログを書こうとすれば椅子に座らなければならず、足を下にしたままにしておくと血流が滞ってむくみが悪化するのである。

結局、床に転がって録画を見るか、ベッドでまさに「安静」にするかのどちらかしかない。
もうすでに1か月以上前だというのに、入院していた時と何が変わったというのか。
リハビリがないので、とにかく自分の状態が回復期のどのあたりなのか全くわからないし、治っているという実感がない。
ただ、一日中好きなだけ風呂に入ることができたので、それによってむくみが改善していくことだけが「きっと治っている…はずだ」と思える光であった。

一体なぜこんなに治りが悪いのか…
ここで浮上してきたのが、12月の「術後の過ごし方」である。

(1)ギプスシーネを24時間完全にははめていなかった。
(2)患部は持ち上げていたとはいえ、勝手な判断で外出した。
(3)ましてや踵歩きとはいえ、片松葉で重い荷物を持って歩いた。
(4)同じく踵歩きとはいえ、洗濯や炊事などを立って行った。
(5)仕事が休みだからとついつい夜ふかしをして、生活リズムが狂った。

自分の行動を思い出せば出すほどに、すべてが悪行のように思え、それが傷の治癒を遅らせているのではないかと不安になる。
あの思い出したくもない骨と骨の間に開いた隙間…あれがちっとも埋まらないのは、バカな12月の自分のせいではないのか…

(1)のギプスシーネについては、完全に外してしまっていたのは4日間程度で、それ以降はほぼほぼ装着していたのだが、折れて離れている骨が動かないよう、もっときっちりと留めておけばよかったかもしれない。

(2)~(4)については、既にブログにも記した通り、当時は「3週間で歩けるようになるんだからもうやれてないと」と思い、無理をしたことは否めない。
立位の時はギプスシーネで固定し、もちろん踵歩き、さらに家の中でも松葉杖を使っていたので、そこまで無理をしたとは思えないが、「自分には何でもできる」と思い込みたくて、シーツや布団カバーまで洗い、よたよたと抱えながらベランダに干しに出たりもした。

これらの過去の所業がよくなかったのではと思った1月以降は、洗濯をしても干すのは風呂場の低いところだし、料理は膝立ちのみでできることしかしなかったし、掃除は全てロボット任せだった。
むしろ12月より1月の方がADLもQOLも低下したといっていいかもしれない。

本当に陸に上がったアザラシのようであった。
いや、風呂に入る時だけは元気になっていたから、名実ともにアザラシである。

しかし、傷の回復を一番遅らせたのは、(5)ではないかと考えている。
こうして骨折のような傷を負ってみると、傷を治すには食事や安静ももちろん大切だが、細胞や血管の再生を促すために、一番重要なものは、「睡眠」であると思い知る。

昔から、子供の頃に身長が伸びなかった人や、若いのに記憶力が保持できない人も、良質な睡眠を摂っていないからだろうと思っていたが、やはり動物の体には睡眠は不可欠なものなのだろう。
しかも、恐らくただダラダラ眠るとか、昼夜逆転して昼間寝ているとかではダメなのだろう。
あくまでも夜、適度な長さの「良質な」睡眠が大事なのではないか。
何より、傷を治すには規則正しい生活をし、バランスの良い栄養を摂り、適度に動き、よく眠ることが大切だとつくづく思う。

そう、退屈だと言われる病院での生活こそが、傷を癒やす最善のリズムなのだ。
傷を治すために入院するのだから、ちょっと考えれば当たり前である。

自分の怠惰な性格が傷の治りを遅らせたのだったら自業自得であるが、そう言えるのは今これを書いている自分が既に回復終期にあるからで、この頃の自分は先が見えず、あれが悪かったんじゃないか、これが悪かったんじゃないかと悶々としていた。

また、他の人の手術同様、抜去を前提としてガッチリとプレートとボルトで留めてくれれば骨と骨の隙間がこんなに開いたままになることはなかったんじゃないかと思ったりした。
とはいえ、手術の説明を受けた時に、「抜去でかまわないので、がっちり止めてください」などと言えたであろうか。
今ならもちろんはっきりとそう言えるが、その時は「入院して手術が必要」というだけでも情報過多なのに、先のことまで考えることはできなかった。

そして「じゃあ次ははっきり言おう!」などとは、死んでも思わないのである。
なぜなら骨折など二度としたくないし、絶対にしてはならない怪我だと今更ながら思い知ったからである。
年を取ってからも変形性膝関節症や股関節症にはなりたくないし、ましてや大腿骨頚部など絶対に骨折してはならない。
本当にこりごりである。無論、骨折だけでなくなんにせよ怪我はしてはならない。

しかし時は無情で、色々と思い悩む間に、既に手術後5週目に突入していた。
12月の過ごし方が1月現在に響いているのではないか…そんな考えに取りつかれ、一向に治らない骨折に不安を感じながら、何もできなかった。

早い人はもうとっくに松葉杖なしですいすい歩いている時期である。
遅い人でも間違いなくリハビリに励んでいる時期である。

なのに私はアザラシのようにのたくっているだけだ。
痛みはないのに動かすこともできず、忌々しいギプスシーネで固めていなければならない。

不安感と焦燥が強くなりつつも、次の診察ではさすがに固定は取れるだろう…そう考えて過ごすしかない。
しかし、その期待は裏切られ、状況はさらに悪くなるのだった。
2018/02/12 (Mon)  20:32

ネットスーパーを使ってみよう(受傷39日目・術後31日)

1か月経っても荷重の許可が出ないため、困ったことに買い物に行かれない。

本来固定が取れるはずの時期に、状態が悪く安静が延長された身には、無理をしてはならないことは想像に難くない。
配偶者や子供の世話をしなければならないとか、介護をしなければない、どうしても仕事に行かなければならないなど、のっぴきならない理由のある人は無理をしがちであるが、私には運よくその縛りはない。

米や冷凍品はあるのだが、牛乳など日々消化する日販品はどうしても不足してくる。
日用品も、トイレットペーパーの予備がなく、石鹸も残りひとつになってしまっている。

そこで、私もついに使う時が来たかと思い、ネットスーパーを調べ始めた。
以前は「数千円もまとめて買うだろうか」と懐疑的だったのだが、実際に自分で片松葉で買い物に行った12月、購入金額は2500円を超えていた。
まぁ商品を見たら見たであれこれ欲しくなってしまったというのもあるのだが…
だが結局それくらい払うことになるなら、自分で買い物に行くリスクと引き換えにしても、十分元が取れると判断したのだ。

範囲的に、私の家に配達してくれるのは「西友」と「イトーヨーカドー」であったが、徒歩数分圏内に西友があるので、あまり考えずに西友にしてしまった。
しかし正直、イトーヨカドーにすればよかったとあとで後悔した。
西友は5000円以上、イトーヨーカドーは3000円以上購入で送料は無料になるのだ。
さらに、イトーヨーカドーはセブンプレミアムが豊富であるから、セブン好きにはこちらの方がよい。

例えば私はセブンのポテトサラダが大変好きなのだが、その味を期待して食べた西友のポテトサラダは、なかなかの残念さであった。
西友も「みなさまのお墨付き」シリーズはよく頑張っているとは思うのだが、セブンプレミアムに比べると格段に落ちる。

しかし、たとえば厚切りポテトチップスはセブンもお墨付きも同じカルビー提携なのだが、「お墨付き」の方が味が豊富で価格が安いのでお得である。
また、トイレットペーパーや洗剤など、日用品は西友の方が豊富なようだ。

食料品のほかにおむつやミルクなど子供の物が必要な場合などは、西友でまとめるか、別にロハコなどを利用する方がよいのかもしれない。
要は使い分けなのだと思う。

さて、まずは登録をして買い物開始である。
配達日と時間帯は選ぶことができるが、カレンダーに×のついているところは頼むことができない。
やはり夕飯に必要なものを届けてもらう夕方は人気らしく、ほとんどバッテンであった。

また、配達品には生鮮食品や冷凍食品などがあることから、在宅していることが絶対条件である。
これは事情があって自分で買い物に行けない人が使うのだから、当然のことだと思う。

西友の場合、普通の通販と同じく必要なものをカゴの中に入れていくと、送料無料まであと〇〇円と表示してくれる。
もし5000円に達しなかった場合は送料は300円であるから、無理をして不要なものまで買うくらいなら送料を払えばよい。
だが私は日販品や日用品、総菜なども頼んでいったので、やがてあっさりと5000円を超えた。
そこでレジに進み、カードでの支払いを選択すれば、あとは届くのを待つだけである。

私は急がなかったので翌日配送になったが、早い時間に頼めば当日配送も可能である。
しかし配達されるとはいえ、何しろ今の状態では荷物を受け取るのも大変だ。
ピンポンが鳴って、マンションのオートロックを解除するために、膝立ちでインターホンまで行くのも一苦労である。

入り口から部屋に運んでもらうまでに、今度は玄関まで行き、ドアを開けてストッパーをかけた。
玄関のピンポンが鳴ってから「待たせてはならん!」と慌ててドアを開けようとして、よろけたり怪我をしてはいけないからだ。
また、あらかじめ玄関が開け放ってあれば、届けに来た人と会話もしやすい。

手押しのカートに入れられた配達品は、さらにビニール袋に小分けに入れられていた。
ドアの向こうからギプスシーネと包帯姿でこちらが怪我人と察した配達人は、手早く品物の入ったビニール袋を玄関に置いて行ってくれた。
この袋分け方式は、後で台所に運ぶ時に大変助かった。
子育て中など、健常な人なら普通に品物だけ受け取っても問題ないだろうが、非力な高齢者やケガ人にはこの方がよい。

認め印を押すと、配達人は扉を閉める前に、「外して入れておきますね」とドアのストッパーを外して中に入れてくれた。
多分ネットスーパーを利用する人には私のような身体状況の人も多いのだろう。
慣れたものである。

なくて困っていた牛乳や納豆、その日の昼食用の総菜から予備のトイレットペーパーまで、潤沢な物資が玄関に並ぶ姿は圧巻である。
私は玄関と台所や洗面所などを、膝パッドに頼りながら何度も往復し、品物をあるべきところにしまっていった。

ああ、補給って素晴らしい。

食料などの補給は、配偶者や家族と同居している人にはさほど困ることではないかもしれないが、今はネットでなんでも届けてもらえるので、事情のある人間にとって本当にありがたいことである。
私など、怪我をしたからといって様子を見に来てくれたり、「〇〇を買ってきて」とか、「この郵便物出してきて」とか、「ゴミ捨ててきて」など、些事を気軽に頼める友人は皆無なので(つくづく、友人というより「知り合い」なんだろうなと思い知るなぁ)、ネットは大切な命綱ともいえる。

逆に言えば、昔は難しかった「ぼっちの療養」も、今はある程度の金さえあればなんとかなるということだろう。
私も、今回の怪我で家族に頼った「移動」や「買い物」部分を、「タクシー」と「ネットスーパー」で賄えば、ほぼほぼ自力で行けたと思う。
あと、ATMまで現金をおろしに行けない状態では、クレジットカードも非常にありがたい。
今回は病院の支払いに使えたので、家族に負担をかけなくてよかったのは何よりだし、もし何もかも1人でやらねばならなかったとしても、大丈夫だったということだ。

ただ保証金は現金だったので、いつでも使えるようキャッシュを置いておくべきだとは思った。
まぁ最近は大きい病院だとATMが置いてあったりするので便利だが、中小病院にはないことが多い。
特に高齢になったら「入院セット」の準備と現金は誰にでもわかるように準備しておいた方がいい。
若い人は、自分には関係ないと言わず、いざという時のために親に準備させておくべきである。
入院に必要なものを探したり、買ったり、現金を立て替えたりと、必ず手間取るからだ。

必要なのは、即物的ではあるがやはり「金」だ。
いざという時に頼れる人がいない人は、少なくとも最低限安心して暮らせるだけの金は用意しておくべきである。
無論、蓄えは多ければ多いに越したことはない。ましてやガンなどはいくらあっても足りないだろう。

ケガであれ病気であれ、安心して療養するために金は必要不可欠なものである。
モノが残るならまだしも(とはいえアニメグッズなどほとんど無駄だと思うが…)、ソシャゲのガチャのように、長い人生の役にも立たないものに金をかけるなら、死にもの狂いで貯金した方がよい。

世の中、金。

平和な世でこその真理である。
2018/02/12 (Mon)  15:44

想定外で予想外(受傷38日目・術後30日)

新年最初の受診日はよく晴れた暖かい日だった。

待合室では運よく一番入り口に近い椅子に座ることができ、今日こそはいよいよリハビリも始まるだろうと、リハビリファイルを持ってリハ室に向かう高齢者を見ながらほくほくと順番を待っていると、そのリハ室からあわただしくPTが駆けつけてきた。
何事かと思っていると、クリニックの前で診察に来たおばあさんが転倒したので連れて来たという。
よたよたと歩くおばあさんをソファに座らせたが、座っているうちにみるみる顔色が悪くなり、痛みがあって呼吸ができないようなので、早々に診察室へ移動された。

そんなバタバタした中で私の診察も始まった。
看護師やPTがわちゃわちゃしている中でギプスシーネを外し、レントゲン室に移動して、処置室から再び診察室とよたよたと移動するのはなかなかハードだった。

さて、2週間ぶりのレントゲンである。
術後一か月経てば、普通は架橋がかかり、仮骨ができあがってくるはずだ。
早い人はギプスが取れ、荷重が始まったり、リハビリを続けていた人は松葉杖が外れることもある。
手術前には「2/3加重までは3週間から1か月、全加重までは2か月、完全に良くなって爪先立ちができるようになるのは3か月かかるからね」と言われている。
その時期がようやく訪れたと思うと感慨深い。




「うん、架橋もできてきてるね。いいと思います。じゃあ、もうちょっと固定しとこうか」



は?



先生の言葉は全く予想外であった。
いいと思うと言いながら、固定は外れないという。
これにはたまげた。

しかし確かに、相変わらず隙間はがっつりと空いたままなのである。
骨が癒合するためには、骨と骨の間に骨組織が形作るため、まずは架橋が架かるのだが、それはよく「白いもやもや」と言われる。
それが見えてきたら、結構重症の骨折もようやっと治っていく証なのだ。

しかし私には前回のレントゲンとさほど変わったようには見えない。
数多くの骨折患者を診ている先生は架橋ありと判断しているが、素人目にはわからないのである。
いや、そう判断しているのに固定が取れないのだから、多分よろしくなかったのだろう。

ここでまた情けないことに、私は主治医に何も聞くことができなかった。
「くっつきが悪いですか?」
「リハビリをしたいんですが」
「何が原因でしょうか」
今思えば、いや、今でなくともこの後、どれほどまでにああ聞けばよかった、こう聞けばよかったと後悔したことだろうか。

しかし前述のとおり、診察に来て転倒したおばあさんがいたりして、今日は病院自体が大騒ぎである。
おばあさんは診察台に寝かされていたが、全く起き上がれないようで、私が会計を済ませても処置が終わらないようだった。
そんなことで先生も忙しそうなので、結局何も聞けなかった。(忙しくなくても聞けなかったかもしれないが…)
そのくせ、PTが包帯を巻く間も、ずーーーーーっともやもやしっぱなしだった。
疑問に思ったらすぐに聞けばいいとはわかっているのだが、結局いつも何も聞けないのが悔やまれる。

支払いを済ませてよたよたと家に帰り、はーっとため息をつきつつも、それでもまだ1週間延びただけであるから、誤差の範囲だと思うことにした。
何しろちゃんと骨ができていかないことにはどうしようもない。
落ち込んでも仕方がないので風呂を沸かし、相変わらず冷たく膨れた足を温めて回復を祈るしかなかった。

この骨折の記録をつけようと思い立ったのは12月の手術後だったので、書き始めた頃は、何にせよ1か月で何らかの変化が起きるだろうと思っていた。
ところがその待ちかねた1か月後の診察で、それまでと全く進歩のない「はい、固定してまた来週」と言われてしまったのだから、気持ちも萎え萎えだ。

それでもまだたかが1週間延びただけである。
とりあえず来週こそ固定が取れ、荷重が可能になるに違いない。

しかしもうリハビリ通院は諦めていた。
恐らくこのまま固定が続き、シーネが取れたら「あとは自由に歩いていいよ」となるような予感がしたのだ。
実際、「いきなりギプスなし、松葉なしで歩くのは怖かった」とか、「足首がカチカチで歩けなかった」というスパルタ式だった人も多いようだ。(まぁそれもほとんどは手術が必要ないギプス固定のみの人だったが…)

実は12月末に、骨折後のリハビリの際にいい靴はないかと調べたところ、スケッチャーズを使っているという人が多かったので購入した。
知っている人は知っていると思うが、安いところを探したものの、スケッチャーズはなかなかいいお値段である。
しかもちゃんと確かめて買ったのに、サイズが合わない…気がする。
「気がする」というのは、怪我をしている右足ではまだ履けないからだ。

だが健足の左足で履いてみると、ヒダリくんは明らかに「いや、これきついッス」アピールをしてきた。
となると、もともと利き足であり、左足より大きめの右足では全くダメだろう。
せっかく靴を買ったのに、リハビリもない上に、そもそも履けないとは。悔しいしツイてない。
(なお、この靴はあとで履くことのできる家族にあげたので無駄にはならなかった。)

相変わらず痛みはないし、入浴効果で足首も指もさらに柔らかくなっている。
むくみも改善が見えてきているので、とにかく大事にするしかないのだと前向きに考えることにはした。

しかし、実はこの頃、後悔の念がちくりちくりと頭をもたげ始めていた。
そしてこのイヤ~な澱のような不安は、今後ますます大きくなっていく。
2018/02/08 (Thu)  18:35

第五中足骨骨折で明けた年(受傷34日目・術後26日)

まさかここまで続くとは思っていなかった平成30年が明けた時、私の第五中足骨はまだ折れたままであった。

うっかり怪我をしてから1か月。
振り返ればあっという間なのだが、日々刻々、不自由な状態で手作りの膝サポーターのお世話になり、手すりを使って立ち上がり、プッシュアップで乗り移り、ぶよぶよに膨れた足をさすさすして「早くよくなれ」と励ます間は、一体いつになったら健常な生活を取り戻せるのだろうかと思うばかりであった。

とはいえお正月である。
おせちをつつきながらアキラ100%の100%モロ出しに爆笑し、家族に車を出してもらって自分の家まで年賀状を取りに行き、雑煮を食べながらのんびり過ごすのは、怪我をしていようがいまいが格別であった。

実はこの年末年始は、海外に行く予定だった。
ところが怪我をする少し前、ツアーが出なくなったとのことでキャンセルになったのだ。
他に行けるところを探したが、申し込めるのが既に行った事のある国だったりして断り、夏の終わりに家族が入院したこともあるので今年は家でみんなでのんびり過ごすかと旅行自体を断念していたのである。

今思えば、結果的にはちょうどよかった。
もし事前にキャンセルになっていなかったら、怪我で自己都合キャンセルしなければならなかったため、違約金を支払う可能性があったかもしれない。
うーむ、不幸中の幸いだったのか、幸いなれど不幸だったのかよくわからない。

2日には親戚が年始の挨拶に来たので、案の定「一体何がどうした」という好奇にさらされた。
正月はつつがなく過ぎていき、送っていない人への年賀状を作成して家族に投函してもらったり、年末の深夜番組の録画を消化したり、昨年の収支を総括したりして過ごした。
冬アニメは正月からいきなり始まるものは少なかったが、2016年のヒット作「君の名は」がTV初放映されたので、楽しみながら見た。

そんな平和な正月を過ごしたのち、5日の診察に備え、4日にはまた自分の家に帰った。
この4日に行った一大事といえば、「初めての入浴」である。

実家の風呂は数年前に改築し、手すりもついていてそれなりに快適なのだが、入り慣れているのはやはり自分の家の風呂である。
不自由な体で、慣れない場所で、最も無防備な状態で、「湯船につかる」というのは、さすがにためらわれた。
なのでこの日にいたるまで、家でも実家でもシャワーしか浴びてこなかったのである。
足が冷たくなるので足浴は行ったが、何しろ厳冬の折であるからお湯がすぐに冷めてしまい、快適とは程遠かった。

それが、ついに入浴解禁である。
風呂を沸かすなど、いつもなら浴槽の栓をして、台所の大元のスイッチを入れ、自動ボタンを押すだけなのだが、今はこれが大変である。
膝立ちでもたもたと洗い場に入り、もたもたと栓をし、もたもたと台所まで移動して立ち上がり、ボタンを押す。
沸かしている間に安全に移動するための動線を確保し、もたもたと移動しながらバスタオルや着替えを用意する。

風呂が沸くと、シャワーの時とは違い、「ギプスシーネで守られていない足で、重い体を支えて浴槽に入る」という動作が待っている。
まずは洗い場に膝で立つ。
もちろん生膝である。
そして浴槽のへりに座る。
健常な人はぐわっと前向きで入るが、麻痺がある人や足の踏ん張りがきかない人は、まず浴槽に背を向け、洗い場に足を下ろして、ヘリに座る。
この形が一番安全であり、正解である。

なお、高齢者の場合は座るのが幅の狭いへりでは危ないので、入浴ボードなどを使った方がよい。
しかし人間というのは健常な時の「ぐわっと前から入る」入り方が体に沁みついているので、この「まず後ろ向きに座って、体を回す」ということがなかなかうまくできないのが難点である。

我が家の風呂は浴槽の壁に手すりがあるため、振り向きながら手すりををしっかりと掴み、まずは健足である左足から入って踏ん張る。
そして次に患足を持ち上げて風呂に入る。
手すりとへりを持つことと、浮力のおかげで患足にかかる荷重はかなり軽減されるので、痛くなければそのまま浴槽の底につけ、体を沈めていけばよい。

浴室の手すりは本当にありがたい。
健常な人でも、のぼせてくらくらしたり、滑ったりすることがあるので、つけるかどうか迷ったら絶対につけておくべきである。
若い人でも、自分もいつかは必ず老いるのだと自覚して、努々、玄関に段差や階段をつけるバカなオサレ屋敷にしてはならない。

久々に熱い湯にどっぷりと浸かった右足には、驚くような感覚が走った。
それまで長らく滞っていた血流が、一気に足の中をダッシュするような、ものすごい感覚である。
気持ちがいいとか悪いとかではない。固まっていた血が急激に溶け出し、ばばばばっと駆け巡る感じだ。
心地よい痺れのようなものが走り、やがてそれが落ち着いてじっくりと温まっていく。

うーむ、一体どれほどの血流が滞っていたのだろうか。
お湯に入った患足は、健足である左足とは比べものにならないほど真っ赤になり、足の指も心なしか柔らかく動かせた。
足首を軽く動かしてみたり、足の裏を軽く押してみたりと、お湯の中ならではのマッサージをしたりした。

この初日の入浴が非常に気持ちよく、足の状態も明らかにそれまでよりよくなったので、私はここから受傷2か月に至るまで、多い時は1日3回入浴をするようになった。
水分補給のためにペットボトルで水や麦茶を持ち込み、ソシャゲをしたりマッサージをしたりしながらのんびりとお湯に浸かるのは至福であった。
これが本物の温泉だったらもっとよかったろうなーと思いつつも、そこまでの贅沢は言えないので、せめて入浴剤で気分を出すようにした。

この一日複数入浴の効果はテキメンであった。
まずあのぶよぶよの内出血とむくみが、この入浴解禁以降は劇的に改善していく。
そして足首の柔らかさや指の動きも、加速度的によくなっていった。
また、傷そのものもかさぶたの下で盛り上がってきていたのだが(傷は治癒力と共に癒着して盛り上がり、ケロイド状の痕になりやすい)、入浴後は傷も柔らかくなり、盛り上がった部位も緩んで落ち着いている。

とりあえずこの日、「風呂で患部を温める」ことの効果に驚きつつ、明日はいよいよ術後1か月を経過しての運命の受診である。
ギプスシーネでの固定は終了し、歩行のための訓練が始まってしかるべき日数も経過した。
今度こそリハビリに通うことになるだろう。
しかもこんなに足首や指の状態が良いなら、きっとすぐに歩けるようになるだろう。
それでもまだ荷重は1/2とか2/3なんだろうなぁなどと想像しながら診察が楽しみであった。

もしいつも通り仕事をしてたらもう正月休みも終わりだなぁ、寂しいなぁなどとのんきに考えながら、「でもまだ1か月は休めるもんね」とぐうたらなことを思ってニヤニヤしたりしていた。
こうして2018年は明け、楽しい正月もあっという間に終わったのである。
2018/02/03 (Sat)  02:06

第五中足骨骨折で暮れた年(受傷33日目・術後25日)

天皇誕生日もクリスマスイブもクリスマスも、ひたすらソシャゲのイベントに勤しんだ2017年。
外に出るどころか立つこともままならない状態だからねーと堂々とヒキオタ生活をしていたが、別に怪我をしていなくても同じく通常運営だったことは秘密だ。

クリスマスだった最終日もせっせとやれば上位が狙える状態だったのだが、朝、家族から連絡が来た。
「年末年始は実家で過ごすように。なお、迎えに行けるのは今日だけ」
この強制執行により、昼過ぎには実家に連行されたため、上位入賞はあと少しのところで逃してしまった。

年末には手術から3週間が経ったが、傷には大きなかさぶたができ、まだ綺麗になったとはいえない。
とはいえ痛みもなく、腫れや化膿もなく、順調に治っていることは自分でも実感できた。
ちなみに傷には特に消毒や塗薬を塗布することもなく、このころは特にテープなども貼っていなかった。

骨自体はどうなっているのか外からは全くわからないので何とも言えないが、痛みもないため順調と信じるしかない。
骨折部に触れてみても、プレートやボルトが入っている人は外からわかるようだが、私のように細いスクリューだと、全然わからない。

ただなんだろう、不思議な「しびれ」はあった。ふっと軽く触ると、一瞬ピリッとした痺れが走るのだ。
しかしそれが長く続くことはなく、もう一度すぐに触れるともう痺れるような感覚はない。
だがまたしばらくして軽く触れるとピリッとする。小指の先に触れたりしてもピリッとする。

痛いわけではないが、何かしら傷ついた部分が神経を刺激するのか、それとも神経付近が傷ついたことで感覚が混乱しているのか?と思うような不思議な感覚だ。
このピリッとする感覚は回復するに従いなくなっていったので、いわゆるファントムペインのようなものだったのではないかと勝手に思っている。

しかしもっと気になるのはむしろ「むくみ」であった。
第一指である親指部分にはむくみがなく、筋張っていて筋力も上下とも申し分ない。
しかし第二指から第四指周辺は膨れ上がっている。
左足と比べれば差は歴然。
骨と筋がくっきり出ている左足に比べ、右足の膨れっぷりは悲惨である。

しかし患部である第五指にはむくみはそれほどない。
第五指の治りが悪い理由である「筋肉が少なく、血管が少ない」ゆえに、むくみも少ないのかもしれない。
そのかわり、外くるぶし周辺、かかとの外側のむくみはひどい。
左足と比べながらぶよぶよしたその部分をマッサージをすると、しばらくして左足のように固く引き締まってくる。

引き締まる部分はいいのだが、第二指から第四指周辺のむくみはぶよぶよしたままである。
しかもそこを押すとかなり痛い。
内出血のあざを力一杯押した時のような結構な痛みだ。
しかし靴下を重ねても常に冷たく膨れた足の甲が気になり、気づくと指の骨に沿ってマッサージをしていた。
痛いか痛くないかくらいの力で、骨と骨の間をマッサージすると、心もちすっきりしたような気持になる。

しかし、実際にむくみがひいてきた様子と比べると、この頃のむくみはマッサージではほとんど改善されていない。
まぁまぁマシになるのはシャワーを浴びて足が温まった後だった。
何をどうすればよいのかわからないので、患部の第五指に響かない程度に足の指を動かしたり、足首を上げたり下げたりして、ぶよぶよした部分のマッサージをするのが日課であった。

また、底屈と背屈はわりと問題なかったが、足の指が起き上がらないのも驚いた。
左は蛇の鎌首のようにひょいと上がるのに、右はへろっと少し上がるだけである。
なるほど、爪先立ち可能になるまで3か月と言われるのはこのためであろう。
今はまだ指をがっつり真上に曲げるのはおっかないので、恐る恐る小指以外の指をそっと上に向けてみるくらいしかできない。
なかなかままならないものである。

そんな自主リハビリ以外は、家と同様、実家でもゴロゴロして過ごした。
移動は膝立ちか四つん這い、トイレや椅子に座る時はプッシュアップでほとんど患足を地につけることはない。
しかも、許可もなく片松葉で外出したとは思えないほど、四つん這いだろうがプッシュアップだろうが、動く時には必ずギプスシーネを装着するという慎重さである。

年末なので暇を潰せるテレビ番組には事欠かず、アニメの最終回も積み録することなく追いかけることができた。
ソシャゲのイベントはいつものように追われてやるのではなく、むしろ追い越し過ぎて暇になる、完全ニート状態であった。
サボりまくっていたブログもここぞとばかりに更新し、右第五中足骨を骨折してからの経過もアップし始めていた。

不自由な状態ながら、2017年の年末は非常に穏やかに過ぎていった。
年の瀬も押し迫った30日にクロネコさんから電話が来て、ふるさと納税の御礼の品が届いているが留守なのでどうしましょうと言われ、家族に車を出してもらって慌てて物流センターまで取りに行ったり、逆に家族の用事に付き合って車で出かけたり(外を歩くことはせず、車で待機)、実家ならではの機動力アップもあった。

年始にはいよいよギプスシーネが外れ、今度こそ歩行に向けてリハビリが始まるに違いない。
むくみは気になるが痛みはないし、足首や指の動きも、素人目にも悪くないと思う。
そんな風に、この頃はまたしてもはかない希望を抱いていた。

まさか年始に「暗黒の2週間」が待っているとも知らずに…
2018/02/01 (Thu)  19:08

スーパーまで歩いてみよう(受傷24日目・術後16日)

さて、右第五中足骨の手術を受けてから3回目の受診日は、病院が年末年始の休日に入るため、2017年内ではこれが最後となる。
2016年は稀にみるひどい年で、2017年も荒波ながら、その挽回も兼ねてそれなりに頑張ってきたのだが、最後の最後に罠が待っていた。
おかげで後に思い出すとき、恐らく「2016年と2017年はひどかった」と思う事間違いない。

2018年は本当にいい年にしたい。
心からいい年にしたい。
いい加減サイクル的にもいい年が回ってきてもいいじゃないか。

いつも通りよちよちと診察に出かけ、傷を目視し、レントゲンを撮る。
骨の隙間は見た限り変わりはない。白いもやもやも確認できない。
先生も「う~~~~~~ん」と唸っている。

「まぁ…いいでしょう。手術後2週間か…うん、いいよね」

またしても何がいいのかわからない「いいね」が出た。
私がレントゲンを見つめて何も言わないので、先生はもう一度「うん、まぁ、いいよ」と言う。

私もここで「くっつきが悪いですか」とか「手術した割には隙間がありますね」というような質問をすればよかったのだが(仮骨や架橋ができているかなどという知ったかぶりはせずに)、なんとなく聞きそびれてしまい、絶望的な骨の隙間を見つめていたので、先生は意を決したようにもう一度言った。

「まぁまぁ、いいでしょう。シーネは年始に外そうか。年末年始ははめておいた方がいいよ。風呂に入る時とかは外していいから」
「わかりました」
「年始は4日からだから、そうね、なるべく早めに見せに来てね」

私は見た目や性格的に、医師にズバズバ質問しそうと思われるのだが、ものすごく遠慮してしまうのでほとんど質問することができない。
的外れなことを聞いたり、生半可な知識であれこれ尋ねてうざったがられるのが嫌というのもある。

医師にはきちんと説明を求めましょうと簡単に言う人がいるが、まずは医師に「患者にはきちんとわかりやすい説明をしましょう」と教育して欲しい。
その土壌が出来てもいないのに、患者が質問すると、おざなりな答えや面倒くさそうな返事しかしない医師が非常に多いではないか。
薬漬けのじじばばで潤っている町医者は、特にそういう不遜な医者が多い。
全部とは言わないが、これ、結構同意してもらえると思う。

とはいえ、今かかっている整形外科の先生や手術をした先生が権威主義でプライドの高いタイプかというとそんなことは全くない。
むしろ非常にやさしいし、多分私が質問すればきちんと答えてくれると思う。

ただ私が瞬発的に質問できないだけである。
あらかじめ聞くことを準備していれば聞けるのだが、瞬間的に判断して「いい質問」ができないのは、学生時代からのコンプレックスでもあった。
的確に、内容にふさわしい「いい質問」が出来る人を見るたびに、「おお、すげぇ」と尊敬の念を抱いたものだ。

ぶっちゃけ、あまり頭がよくないのであろう。
スペックについては残念だが仕方がない。
しかも、「異世界に(スマホを持って)行けば俺だって!」とも思わない。
舞台を変えたところで所詮モブはモブである。
異世界とやらで変な死に方をするくらいなら、不十分とはいえ医療や福祉が整備されている現実で生きる方が良い。

そんなこんなで何一つ問い質せないまま、年内最後の診察は終了した。
術後2週間ではこんなものかもしれないが、今が年末年始でなければ、術後23日経過する来週金曜日で、「松葉杖卒業」が言い渡されてもおかしくないはずなのだ。

この1週間で松葉杖が取れる(はず)!
自分の状態がそこまでなら、既に踵歩きとはいえかなり機動力は上がっていなければならないではないか。
やはり本日のスーパーで買い物作戦は決行すべきだろう。

病院を出ていつもの帰り道を戻り、一度家に戻って松葉杖を一本置いた。
もちろん歩くには両松葉がいいのだが、カートを持ったり支払いをしたりするのに片手が使えないとどんなアクシデントがあるかわからないので、仕方なく片松葉にする。

しかしこれは本当はやってはいけない。
多くの人は「子供を抱っこしなければいけない」「仕事をしなければいけない」「日々の買い物をしなければいけない」など、「いけない」を理由に必要に応じて医師の言う時期より早く勝手に片松葉にしてしまうが、片松葉の許可が出る時が必ず来るので、それまでは絶対に無理をしない方がいい。

片松葉はどんなに健足側の腕(片松葉を突くのは健足)に力を入れても、どうしても1/3、または1/2荷重になってしまう。
だからこそ許可の出る時期があるのであり、それまでは出来る限り荷重を抑える両松葉で、と指示されるのだ。
くれぐれも勝手に片松葉にしてはいけない。

さて、勝手に片松葉にした無知で不届きな私は、リュックサックを背負ってスーパーへと歩き始めた。
距離的には整形外科と変わらない。むしろ横断歩道がないだけ気持ち的には近い。
今日は年末で混んでいたこともあり、リハ室からPTが呼ばれてギプスシーネと包帯を巻いてもらった。
おかげで足首がきっちりと固定されており、歩きやすい。
それでも大通りに出るくらいまで歩くと、持ち上げている足首が疲れてくる。

大通りは平日の朝とはいえ、さすがに人通りが多い。
人にぶつかったり、松葉杖を蹴られたりしないように、歩く場所を慎重に歩く。
歩くことにも神経を使うが、全く気を使わない人に、こちらが気を使わなければならないのでくたくたになる。

ようやくスーパーの入り口にたどり着き、かごをカートに入れる。
カートは軽いので、片松葉で歩きながらちょいちょいと押していく。
ただ店内は品物の入ったカーゴや段ボールなどが通路を塞いでおり、さらには立ち止まって品定めをしている人がいるので、なかなかサクサクと進むことはできない。
品物を並べている店員がいて手が届かないので、その店員に取ってもらったりしながら、買い物を終え、レジに並ぶ。

ところがここで事件が勃発した。
診察でお金を払ったため、思った以上に財布の金が減っていて、数百円足りないのだ。
いつもなら定期入れの中に予備の金を入れているのだが、現在は休職中で出勤していないため、かばんに定期入れが入っていない。
品物を減らしたりすることも考えたが、今の状態では気軽に何度も買いには来られない。
そこでレジのお姉さんに、すぐに金を取ってくると伝え、品物を置いておいてもらうことにした。

一度で用事が済むように万全の準備をしたつもりだったのに、肝心の金が入っていないとは。
情けない思いで家まで帰り、ついでにリュックサックももう一回り大きいものに変えた。
思ったより買い物をしたので、リュックが小さすぎて品物が入らないと思ったためだ。

片松葉というあまりよろしくない状態で2往復することになり、この日の疲労度はハンパなかった。
結果的にはリュックを大きくしてもギリギリの状態だったので、最初のリュックだったら金は払えても品物が持ち帰れないという、結局は2往復する必要があったかもしれない。
なのでそれはいいのだが、ずしりと重い荷物は体重にプラスされ、足にかかる重量となるから、患足にかかる負荷を思うとやはり無茶だったと思う。

本能的に「これはヤバい」と思ったのだろうか。
私が片松葉の許可が出る前に病院以外の外出や買い物をしたのはこの時が最後である。
先日の郵便局の時同様、痛みや違和感が出たわけではない。
しかし背中に感じた重みや、患足にかかる負担を自分自身で体感して、「やはり骨がきちんとできるまでは安静にした方がいい」と納得したような感じである。

なお、家に帰ってからやることが二つあった。
それは12月25日に予約していた定期健診と、1月25日に受けるはずだった人間ドックをそれぞれ変更することだった。
怪我をしてすぐ、12月25日の定期検診に行けるかどうか計ってきたのだが、片松葉の許可も出ていないのでここで「無理だな」と判断した。

一か月先にするか2か月先にするかは迷ったが、杖なしで行ける時期がいいと思い、2か月延ばした。
人間ドックは1か月先でもよかったが、2月に仕事復帰ができるかどうかがまだわからなかったので、同じく2か月先に延ばした。

幸い、私の場合は通院予約を変えるくらいで済んだが、四つん這いで不自由な生活を続けながら、他の持病についても薬を取りにいかねばと心配したり、歯痛や風邪のような突発事項に悩まされたりするのは大変なことだと思う。
ましてや配偶者や子供が熱を出したり、重ねてケガをしたりしたら、自分の体もままならないのに気分はどん底であろう。

骨折でもこれなのだ。
重病や難病になった時の生活の激変やメンタルを思うとぞっとする。
運悪く後遺症や不具合に悩む人もいるけれど、骨折は時間をかければ治るものだ。
安静と言われたらきちんと安静を守り、自分の治癒力を信じて骨を形作るまで無理をしないことが大事である。

体力的・精神的には疲れたものの、自分が欲しいものを欲しいだけ買い込むことができ、万全の状態でソシャゲのイベントに挑むことができるので、私自身は満足感でいっぱいであった。
この日の夕方から月曜日の夕方までのまる4日間、ひたすらにイベントをこなすマラソン開始。



え?
クリスマス?
何それおいしいの?
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