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右第五中足骨折と左上腕二頭筋(受傷91日目・術後83日目)

職場復帰が近づくにつれ、第五中足骨が折れた右足はめきめきよくなっていった。
しかしその反面、ひどく悪くなっていった部分がある。

それは「左上腕二頭筋」である。

実はこの左上腕二頭筋は、忘れもしない2017年5月9日に一度傷めていた。
仕事で重い荷物を持つ際、ボディメカニクス的には腕を体にできるだけ近づけるのがセオリーなのだが、伸ばしたまま持ってしまったのだ。

この瞬間、上腕二頭筋にビキッという感覚がし、以来腕を上げるとわずかながら痛みが走り、常に「万全ではない」という状態になってしまった。
しかし11月に入ると、長く悩まされたこの痛みが消えたのである。
11月の始めに温泉に行ったのがよかったのかもしれないが、とにかく痛くなくなったのはありがたかった。

ところがその後、ご存知の通り右中足骨骨折という大怪我を負ってしまう。

2か月に渡る「陸に上がったアザラシ」生活の間、左腕は実によく頑張ってくれた。
何より、怪我をする直前に痛みがなくなったのは本当に幸いだった。
プッシュアップや四つん這いの時、上腕二頭筋にぐっと力が入っても、以前のように痛くないのは心強かった。

むしろこの頃は手首を傷めないように気を付けていた。
仕事に戻った時、手首が使えないと巧緻性が落ちるので厄介だ。
指を傷めるのも怖かったので、そちらも気を付けていた。
今思うと、手首や指に比べ、上腕二頭筋はなんとなく疎かになっていたのかもしれない。

それはちょうど1/3荷重が許可され、まだ片松葉で立って生活することと、膝パッドに頼るアザラシ生活が混在していた頃だ。
私はトイレの後、床に降りてドアを閉めた。
そしてそのまま床から左腕を伸ばし、手首をひねって電気を消したのだ。

その瞬間、覚えのある「ビキッ」という感覚が上腕二頭筋に走った。

しまった!と思っても後の祭りである。
恐る恐る二頭筋をさすってみるが、以前の痛みと同じく、腕はいつも痛いわけではない。
ある種の動きをした時に激痛が走るのだ。

以前は痛いのは横に腕を伸ばした時だけだったが、今回は日を重ねるにつれ、どんどん痛みを伴う運動が増えていった。

上、横、下、背中に回す、手首を内側や外側にひねる…

やがて2月に入ると、治っていく足とは裏腹に、どんどん痛みが増していく。
やがて床に手をついても痛い、眠っていて腕が下になっても痛い…というように、安静時にも痛みが出てくるようになった。
「次の検診は1か月後」と言われた2月の診察の時、なぜ相談しなかったのかと悔やまれた。

いよいよ来週から仕事復帰という週になると、ふとした動きで痛みを感じ、その痛みのあまり悶絶するようにさえなっていた。
これはまずい…私は焦った。
自分としては、むしろ足よりもよっぽど腕の方が深刻であった。
足についてはこれまで痛みなどほとんど感じたことがないのに、まさか腕の痛みに苦しむとは…

着替えも困難だし、高いところのものを取ることもできない。
体を洗うこともできないし、今はもう使わないが、松葉杖をつく動作など痛くて考えられない。
もしアザラシ時代や松葉杖時代にこの激烈な痛みがあったら…と心底ぞっとする。

私はもともと肩の関節が柔らかく、背中で手を繋いだり合掌することもやすやすとできるのだが、今はとてもそんな動きはできない。
むしろ肩が悪いわけではないので、ついいつものように可動域の広い動きをしてしまい、そのたびに筋肉に激烈な痛みが走るのだ。

待ったなしの復帰2日前には観念し、病院へ行った。
この日はまたしても代診だった。
一体院長は何をしているのだろうか。
実はこの後もまだ一度も院長に会えていないのだ。

足のことかと待ち構えていた代診の先生に、今日は腕だと伝えた。
先生は左腕の可動を確かめ、肩回りには全く痛みがないと確認すると、「筋肉を傷めたんだろう」とあっさり言った。

そして痛みを取るためロキソニンと胃薬、患部に塗布するスミルスチックの処方を出してくれた。
だが残念ながら痛みは取れず、今もまだ続いている。

右第五中足骨の骨折であるから、これまで転倒やくじきなどの二次災害に気を付けてきた。
なのにまさか左上腕二頭筋を傷めてしまうとは…
左の安静を保とうとすれば、当然痛みのない右にも負担がかかる。
両腕を傷めることは絶対に避けたい。

ちなみにこの日、受傷した翌日から入院中、療養中もずっと共にあった松葉杖を返却した。
本来なら「よし、これで本当に回復まであと少しだ!」とウキウキするシチュエーションのはずなのだが、帰路、私の足取りは重かった。
何しろ未だに完全にはくっついていない右第五中足骨骨折に加え、今度は左上腕二頭筋まで痛めたのだ…


回復までの道はまだまだ遠い。
というか、遠すぎるわっ!!
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すみだ水族館(受傷83日目・術後75日目)

いよいよ来週から職場復帰となるため、歩行訓練もそろそろ最後の仕上げである。
長く歩くことと趣味を兼ね、初めて「すみだ水族館」に行った。

クラゲの水槽がいくつも並び、美しくライトアップされていて実にフォトジェニックであった。
平日だというのに親子連れがめちゃくちゃ多い。見れば皆、あのお得と有名な年間パスポートを首から下げている。
多分近所の人だろう。うらやましい。

ペンギンのもぐもぐタイムは、飼育員のお姉さんたちが何人も現れ、ペンギンの名前を呼びながら魚を何尾食べたか記録していく。食べそびれる固体や、逆に食べ過ぎる固体がいないように目を配っているそうだ。

チンアナゴのもぐもぐタイムは見ものであった。
上から餌を撒くと、潜っているチンアナゴが一斉に穴から出て小さな口でえさを食べる。
ところがこの時、まーいるのだ、食べようとする固体の邪魔ばかりする意地の悪い奴が!
おまえはおまえで集中して食えよ!とムカムカするくらい、ずっと小さな個体を威嚇するヤツがいる。

威嚇されるのは当然小さな体の固体で、あまり首を伸ばせず、びくびくと落ちてくる餌を食べるのだが、体の大きな固体は堂々と伸び切ってばくばく食べるため、おこぼれしかない。
しかも、じゃあ皆が皆小さい個体をいじめるかというと、そんなことはない。
小さい個体がおどおどと体を伸ばしても、決していじめず、一緒に食べる大らかな固体もいる。

だからこそしょっちゅう小さい個体をガッ、ガッと威嚇するヤツが憎たらしい。
意地悪野郎が食べるのに夢中になって体を伸ばしている間に、小さい個体が一生懸命食べているのを見ると応援したくなる。
野生なら自然淘汰も仕方がないが、飼育下では食いっぱぐれないので、応援してもいいだろう。

ところがこの日、水分を十分取らずに出てきてしまい、歩き回る間も水分補給をしなかったので、途中でガンガン頭痛がしてきてしまった。
冬季はスケートリンクができる広場に出て休憩したが、気を付けないといかんなーと思った。
朝9時から17時くらいまで外出していたのだが、疲れは感じたものの、思ったより歩けたと自信がついた。

他にもプールでの歩行訓練や、職場復帰時の挨拶用の手土産を買いに行ったりと、長く歩く機会を作って過ごした。
とにかく仕事をしても疲労しない体力と、歩行に耐えうる筋力をつけなければならなかったからだ。

何しろ仕事は待ったなしである。
親切にも、怪我をした私を「助けるよ」「手伝うよ」と言ってくれる人はいても、本当の助けには絶対になるはずがない。

職場において、私は他人を信用しない。
その人がいい人かどうかなどではなく、あれこれと色々なことが起きる職場で、他人を助けるなどそもそも無理だからだ。
自分にできないからこそ、他人にも助けてもらえるとは思わない。期待しない。

苦労するのは自分だとわかりきっているので、骨がくっついていないと認識したうえで、できる限り万全に戻さねばならないのだ。

…と、さも偉そうなことを言いながら、最後の週末をソシャゲのイベントに費やし、「ああ、せっかくの自由な時間を無駄にした…」と悔やんだのは秘密だ!

右第五中足骨骨折と社会(受傷78日目・術後70日目)

バレンタインから数日の間、家族が旅行に出かけるので、留守番のため実家に行った。
その間も、チョコレートを買いに行ったり、ずっと行きたかった店に昼食や夕食に行ったり、ドンキへ行って歩き回ったりと、なるべく歩く機会を作って歩行訓練をした。

11月半ばに髪を切ったきり行けなかった美容院にようやく行けたのもこの頃である。
なぜなら行きつけの美容院は2階にあり、階段を上らなければならないからだ。
冬に入る前だったのでちょっと短めに切ってもらっていたため、ぎりぎりうざったさに耐えられた。

いつも切ってくれる美容師のお兄さんは、私が骨折したことを知って驚いていた。
年末に旅行に行くという話をしたのが最後だったので、その旅行はどうしたのかと聞かれたが、ツアー自体が催行されなかったのでキャンセル料は取られなかったと説明した。
また、今回切るのは「前回切った時から、ちょうど半月経ったくらいの長さ」にしてもらった。

職場に復帰した時、あまりに「切ってきました!」という感じだと、クズどもから「ふーん、骨折してても髪は切りに行けたんだー」と陰口を叩かれてもイヤなので、ちょうど私が姿を消した頃と同じくらいの長さに合わせてもらったのだ。
悪口が生きがいのバカばっかの職場に配属されていると、全くもって苦労する。

ところで後で思ったのだが、髪を切りに行ったのはまさに14日のバレンタインの日であった。
いつもお世話になっているのに、なぜチョコレートを持っていかなかったのか…
まぁお兄さんはババァの客からのチョコなんぞ嬉しくもないだろうが、珍しく女性らしいことができるチャンスだったのに、全然気づかんかった。残念だ。

長く不自由な歩行をしてきて思うのは、外出の際、段差や物も怖いが、何より怖いのが「他人」だということだ。

私は仕事柄そういったことにいやでも配慮する方なのだが、いざ自分が弱者の立場になると、杖を見て投げ出した足を引っ込めてくれたり、窓口に近い椅子を譲ってくれたり、エレベーターの開ボタンを押してくれる人が本当にありがたく見える。

なお、杖をついている人のそばを、自分が平気だからといってギリギリの距離で歩いたり、すり抜けたりするのはもってのほかである。
即座に反応ができないとわかっているので、ものすごく怖いのだ。
これは絶対にやめてもらいたい。

配慮してくれるのはなんといっても年配の女性が一番で(だからこそ逆に無遠慮なおばはんは悪目立ちするので、自戒も込めて気を付けよう)、次に若い女性、若い男性と続く。
一番ダメなのが、どこでもそうだが中年以降のじじぃどもである。

もちろん親切な紳士もいるが、ほとんどのじじぃは全く配慮してくれない。
そして大抵、自分が配慮してもらえないことに怒ったり、逆に体が悪くなると皆からバカにされると言ってひきこもる。
彼らは自分がそれまで長きに渡って不自由な人たちをバカにしてきたから、皆もそうだとしか思えないのである。

松葉杖で両手が塞がった私がエレベーターに乗る間、次に待っていた杖を突いたじいさんが、外部の上ボタンを押そうともしてくれなかった。
私は何とか扉が閉まる前に乗り込んだのだが、いつもならもちろん押すのに、今は杖で両手が塞がっているので内部の開ボタンが押せない。
そこに彼が相変わらず上ボタンを押しもせずに無理無理乗り込んできたものだから、当然扉に挟まれ、「ちっ」と毒づいていた。

杖はついているが、麻痺はなく、歩行はできている。
少なくとも私と違って片手は自由になるのだ。
重症度では上の私の状態を見ているのだから、自分の安全も含めて、なぜ上ボタンを押すという配慮ができないのか。
その時間があれば、私だって内部の開ボタンを押すことができる。
毒づく彼を横目に見つつ、正直、挟まれたのが自分ではなくてよかったと心底ほっとした。

女性にはかなわないながらも若い男性には親切な人がいくらかいた。
片松葉になってから、左腕で杖をついているのが見えないと、エレベーターに乗ろうとしても中の人が「開」ボタンを押してくれない。

一度、駅でベビーカーを押した若い母親と父親が乗るエレベーターに乗ろうとしたが、私が普通の健常者に見えたのだろう、「開」ボタンを押してくれなかった。
乗り込むまでに扉が閉じたら怖いので、「すみません、開くボタンを押してもらえますか」とお願いした。

若い父親はすぐに気づいて押してくれたが、ベビーカーを押す母親の方はこちらに胡乱な視線を投げかけただけだった。
自分だってベビーカーで乗降する時は皆さんに助けてもらうだろうに、そんな不愉快そうな顔をしなくてもいいじゃないかと思いつつ、えっちらおっちらと杖をついて乗り込んだものだ。

役所へ書類を提出に行き、もたもたして落とし物をした時も、側にいた若い男性がすぐに拾ってくれた。
彼らがじじぃになる頃には誰もが心地よいUDが世界に浸透しているとよいと思う。

反面、せっかくある程度仕事はできるのに、気の利かない人も多かった。
これはしかし、今後体が不自由な人には自分も気を遣わねばならないと反省させられるケースであった。

入院する時、事務を担当してくれたのは眼鏡の若い女性だったが、この人は病院に勤めているくせに全く気の利かない人だった。
こちらはうまく移動ができない状態なのに、いきなり「こっちでぇす」と自分だけすたすた歩いて行ってしまう。

怪我をしている私がそこに辿り着くまでの保安もしてくれないし、座りやすいように椅子を整えてくれることもしない。
付き添いの家族の椅子を用意することもなく、あまつさえ松葉杖で両手が塞がった私に、立ったままで「ここにサインしてくださーい」とか平気で言ってしまう無神経ぶりであった。

手続きはてきぱきやってくれたので事務能力は高いのだと思うが、こういう、他人の痛みを想像したり、困難に気を回せない人は世間にわりといる。
彼女は事務員であるから、「患者のお世話なんか私の仕事じゃないしー」と言われれば確かにそれまでである。

だが彼女が選んだ職場は、銀行やカフェや普通の商店以上に「身体の状態が悪い人たち」が訪れる場所なのだ。
看護職や介護職でなくても、普通の状態ではない相手を慮ることは必要だと思う。

私の職場にも「障害者とか老人が生きてる意味とか不自由さとか意味わかんない。私は健康だから」「寝たきりになったら人として役に立たないんだから、早く死ねばいいのに」と真顔で言う人がいる。
この人も事務能力はずば抜けて高く、非常に頭のいい人であるが、人間としては関わりたくないタイプである。
最近、その人の父親がまさに「寝たきり状態」になったので、誰もが老いて不自由になる可能性に気付き、少しでも変わってくれるといいのだが…最近も「もう元に戻るのは無理だと思うんで、母親には早く諦めて欲しいんですよねー」とか言ってたので望みは薄そうだ。

事務のお姉さんにせよ、職場の人にせよ、本当はこういうタイプこそがケガをすれば、今まで見ていた世界が変わってUD精神が広まるだろうに、なぜそんなの今更な私がケガをするのであろうか。
腑に落ちん。

反面、とても狭いがめちゃめちゃ美味しいお寿司屋さんに片松葉で行った時、狭いので本当は入り口付近に座りたかったのだが、大将から「すいません、奥に行ってもらえますか」と言われ、ものすごく苦労して奥に行き、ものすごく苦労して出て来たこともあった。
また、今回書いたように、二階にある行きつけの美容室に行けなかったこともある。

これは店の構造上仕方がないと思う。
乙武さん問題ではないが、身体が不自由な状態であっても、誰にでもお店に「行く権利」はあるけれど、物理的、または人的にどうしても不可能ということはあるので、そこはどうしたって我慢したり諦めたりしなければならない時もある。

ただ、これから先のことを思えば、世界には色々な人がいるんだから、誰でも一緒に楽しめるように、できる限りの努力はしていきたいよね、というポジティヴ思考は持ちたいと思う。
老いた親や、病気の後遺症の残った配偶者や、障害のある子が産まれてから、街に出て初めて自分が弱者になったことに気付き、その時にはもう弱者ゆえに誰にも声が届かなくなる社会など、哀しいではないか。

ここはもともとアニメの感想をダラダラと書いている(しかもそれもサボりまくっているが)ブログなので、こうして骨折のことを書いても、「つまんねぇ」と読み飛ばしている人も多いと思う。
アニメのことを書くと一言投票所にコメントがつくが、骨折のことについてはほとんど反応がないのがその証拠だろう。
(もちろん、コメントそのものは大変ありがたく、かつ楽しませてもらっております)

だがもしわずかでも読んでくれている人がいるのなら、ちょっとでもUDや共生社会に目を向けてくれると嬉しく思う。

右第五中足骨の手術をした病院へ(受傷77日目・術後69日目)

翌週、手術を受けた病院に2か月以上ぶりに行った。

というより、自力で、しかも電車でその病院に行くのは初めてである。
幸運なことに病院は最寄り駅から近いのだが、何しろJRの古い駅なので、エレベーターどころかエスカレーターもない。
階段の訓練を続けている今は問題ないが、やはりとてもじゃないが松葉杖などで通える環境ではなかった。

病院に行く前に、実はもう一度、いつもの整形外科に行っていた。
その日はちゃんといつもの先生に会えたので、代診の先生に1か月後と言われたことを話し、再び、保険の診断書を書いてもらうために入院した病院に行くことを伝えた。

「その時、スクリューを抜きたいと伝えてきたいんですが」
「んー、やっぱり抜きたいの?」

なんだと!?
この間ちゃんと「抜きたい」と話したじゃないか!
わざわざもう一度相談に来たのに拍子抜けである。

まぁそれも今日、直接執刀医に相談すればよい。
私はラッシュの終わった時間を狙って電車に乗り、その後1回乗り換えをした。
そして古い駅の階段を手すりにつかまって降り、初めて見る街並みを眺めながら歩いて病院に到着した。

前に来た時は家族に手伝ってもらった診察受付を、自力で行える喜び。
名前が呼ばれ、まずはレントゲン室でレントゲンを撮る。
それから執刀医の診察である。

「お久しぶりですね」
「ご無沙汰しています」

私が松葉杖なしで歩いているのを見て、痛みや違和感がないかと確認された。
私は術後4週間ではギプスシーネが外れず、6週間でようやく1/3荷重になったこと、先週からようやく松葉杖なしで歩く許可が出たことを伝えた。

「なるほど、今は全荷重ですか?」
「はい、全荷重です」

こちらで撮ったレントゲンを見ると、ついこの間も撮ったばかりのものと変化はない。

「んー、まだちょっと隙間がありますね。やっぱり完治は3か月でしたね」

隙間があるうちは爪先立ちはしてはいけないと釘を刺された。
また、医療保険用の診断書を書いてほしいと話すと、帰りに受付に提出するよう言われた。
「1か月後に、もう一回診せてもらえますか」
診察はもう今日で終わりかと思ったので、これはちょっと驚いた。
執刀医としては手術した患者の予後をきちんと見たいのだろう。

1か月後にまた来ることになったので、スクリューの抜去についてはその時に相談することにした。
窓口で診断書を渡し、1か月後に診察と言われたので、その時に取りに来ると伝えた。
実際にはもっと早く書いてもらえたので、仕事復帰前に受け取ることができた。

既に何度か電車に乗り、買い物に行ったりはしていたが、区をまたいで遠出したのはこの日が初めてである。
無事に終了したのでほっと胸をなで降ろし、立ち寄った店でランチを食べた。
しかしその店は、夜は居酒屋をやっているので奥へ行くと座敷になっていた。

靴を履いていれば足の形が保たれるのでほとんど怖くないのだが、素足になるとまだ足底の筋力が弱い右足は頼りなく、慣れていないところでは少し怖い。
ランチコーヒーがついているが、セルフサービスなので取りに行くのもおっかなびっくりであった。
しかも行ったら行ったでコーヒーが切れていた。

するとすぐに店員さんが気づいてくれて、「すいません、今替えます」と言ってくれた。
だが、もうごはんが来そうだったので後にしようと席に戻ると、その後、店員さんはわざわざ私を探しに来てくれて、「コーヒー入りましたよ。どうぞー」と教えてくれたのだ。
リーズナブルで味もよく、何より店員さん(多分全員中国の人だった)が皆親切で、いい感じのお店であった。

腹ごなしに一駅分歩いて家族への土産を買って帰ったのだが、さすがに歩き過ぎたようだ。
ふくらはぎの筋肉痛は収まりつつあったが、股関節周りの筋肉が痛くなったのだ。
これは運動不足ゆえの衰えであろう。

ついでによくいく薬師様に参拝に行ったのだが、寺の石ころ道で、またしても足のつき方を忘れ、アキレス腱を伸ばし切ったまま足をついてしまった。
今は骨折のせいで動きがスローモーだからなんとか怪我にはならずにすんでいるが、こんな歩き方をしていたら、動きが激しすぎると腱や靭帯を傷めること間違いなしである。
つくづく、足は膝や足首のクッションを上手に使って、段差や傾斜や階段を乗り越えているのだと思う。

やはり今後は、二次災害に気を付けつつ、歩様と持久力に重点を置くべきだと思った。

右第五中足骨骨折・松葉杖卒業、全荷重へ(受傷73日目・術後65日目)

2週間が経ち、いよいよ診察日が来た。

この日は松葉杖をつかずに診察に行った最初の日でもある。
とはいえ、松葉杖は持参した。もしかして返却するかもしれないと思っていたからだ。

前日くらいから早く診察を受けたくてうずうずしていた。
今度こそレントゲンで「ぴったりとついた骨」が見られればいいとも期待していた。
また、医療保険の診断書を書いてもらうため、近々手術を受けた病院に行く予定だったから、それを伝えたいと思っていた。

病院の前まで行くと、タクシーが停まっており、中からコートを着てはいるが下はパジャマのままの高齢女性が出て来た。
何やら乗降が難しいようで、ちょうど診察を終えて出て来た同じく年配の女性が手伝っていた。
いつもなら手を貸せるが、私も今はまだ怪我人の身である。
しかも筋肉痛がハンパない。
申し訳ないが共倒れを防ぐため、見て見ぬふりをして横を通り過ぎる。

待合室で顔なじみになった人が、私が松葉杖なしになっていることに気付き、「よくなってきたのね」と喜んでくれた。
そう言ってくれた人はひどい外反母趾に苦しんでいる。
他にも杖をついたりシルバーカーを押している人ばかりではあるが、これまで、誰がどう見ても一番の重症は私だった。

だが治り始めればこっちのものである。
若くはないとはいえ、私の年齢ならまだ彼らと違い、いずれは何の問題もなく歩けるようになるはずだ。
今後はさらに自主リハビリに励み、一刻も早く元のように歩けるようにならねばならない。

私はこれまで行かれなかった待合室の奥まで進み、座って順番を待った。
しかしそこで待っている人が何やら不穏なことを言っている。

「今日は先生が違うわよ」
「あたしも長く通ってるけどお休みなんて初めてね」

先生が違う…?
なんということだ。いつも診てくれる先生は今日に限って午前中休みだという。
わざわざ朝早く起きて来たのに、午後にならないと出てこないのだそうだ。

突発的なケガや風邪の人は代診の先生でもいいだろう。
しかし私のように経過を診てもらっている患者にとって、「全荷重」が可能かという重大な判断がなされる日に、この日だけの先生では困るのだ。
診察券を出す前に気付けば、午後に出直すこともできたのに…

もやっとしたまま名前が呼ばれ、見たことのない先生が「変わったことはありますか」と聞く。
その後、2週間ぶりにレントゲンを撮った。
折れた部分の真ん中あたりは随分白くなってきていたが、上下の隙間はまだしっかりとある。
傷の大きさに比して、止めているピンがどう見ても小さ過ぎるんだよなぁと思う。

「うーん、そうかぁ」

先生はパソコンで、3週間前の荷重開始になった時の写真を出した。

「術後7週でこれか…あー、ずいぶん隙間が空いてるね。うん、この頃に比べたらだいぶ良くなったね」

やはりほかの先生が見ても隙間がかなり空いていたようだ。
もう歩けている今となっては驚くまい。
まだ折れていることに変わりはないが、そもそも肋骨のように固定すらできない骨折もあるのだ。
荷重ができるようになったのだから、今後は無理をせず、自分の治癒力に任せるしかない。

「荷重はどれくらい?松葉杖はまだ使ってるの?」
「前回1/2荷重でした。もう杖は使ってないです」
「杖なしで歩けてるんだね。痛みはない?」
「ないです」
「うん、ならこのまま歩く練習を続けようか」

以上、経過は順調、問題なしということで、次回の診察は一気に1か月後になった。
これまたずいぶん先である。もう仕事に復帰している頃ではないか…
近々手術してもらった病院に行くことも話したが、抜釘の相談はできなかった。

なぜ待ちに待った2週間ぶりの診察なのに、先生が休みなのか…

ツイてない。
何も悪いことは言われなかったのに、ガッカリである。

持ってきた松葉杖についても、返す話にもならなかった。
待合室に戻ると、入れ替わりにあのコートにパジャマの高齢の女性が呼ばれた。
しかしどうやら自力では立てないらしく、看護師の名を呼ぶ。
よく見ると腕にも添え木と包帯が見え、もともとは腕でかかっているようだ。
「歩けない?」
呼ばれた看護師が介助しながら診察室に入っていく。

先生が「どこが痛いの?歩けない?」と聞くと、高齢の女性が「痛くてさ、今日はもう歩いて来られなかった」と答えている。
どうでもいいが、二人とも声がでかいので診察内容が筒抜けである。
「どうしたの?」
「転んだんだよ、こないだの雪の日のあと。1月24日だよ。腕が折れたよ」
「ああ、そう。で、今日は痛くて歩けないんだね?レントゲン撮ってみようか」

やがてレントゲンを見た先生が言う。
「あー、これは折れてるね。すぐ入院して手術した方がいいよ。紹介状書くから、午後行ける?」
どうやら重症のようで、私と同じく病院に紹介されるようだ。
しかし、女性は不機嫌そうに言った。

「折れてないよ!」
「折れてる折れてる」
「折れてないよ!!」
「いや、折れてるよ!レントゲンに写ってるもの。歩けないでしょ?折れてるからだよ」

絶対に折れてないと言い張る女性と、折れていると説明する先生。
とんちんかんな会話に吹き出しそうになったが、やがて女性はしぶしぶ紹介された病院に行くことを了承した。
しかし今日はダメなので、明日行くという。

「じゃあ痛み止め出す?」
「痛み止めなんか効きやしないよ!」
「骨折に痛み止めは効かないの。骨は整復しないとダメだよ」

女性が戻る前に会計の順番が来たので、私が知るのはここまでである。
歩けていたから、多分折れたのは高齢者御用達の大腿骨頚部だろう。
あの年で入院・手術となると、筋力が落ちてしまい、歩行できるようになるまでだいぶかかるに違いない。

ついに私より重症の患者が現れたなぁと思いつつ、再び松葉杖を手に持ち、帰宅の途についた。
家に着いて松葉杖を置き、改めて階段を降りる練習をした。
筋肉痛はすさまじいが、痛くても我慢して階段を降りていくと、足首はてきめんに柔らかくなる。

その後は電車に乗って、比較的大きな商業施設で半日ほど店をまわって過ごした。
商業施設は洋服や本や雑貨など、多岐に渡って店舗があるので飽きないのがいい。
買いに行かねばと思っていた寝ぐせ直しを買ったり、疲れを感じたら無理をせずランチを食べたりして、マイペースで訓練に励めるのが何より楽しい。
松葉杖なしで長く遠出をしたのはこの日が初めてであるから、十分歩けたことは本当に嬉しかった。

ようやく全荷重になったのは、なんと受傷から2か月半も経っていた。
手術していない人ならこれくらいかかっても仕方がないが、私は手術をしているのである。
術後から2か月と1週間である。しかもまだ完治には程遠い。

いくらなんでも治癒までが長過ぎる。
そのおかげで、気付けば職場復帰まで早くも20日を切ってしまった。

急いでさらなる歩様の矯正と、長く歩いても疲れない筋力をつけていかねばならない。
しかし心の中では、仕事はいいのだがクソみたいな連中のいる職場に戻るのがイヤで、「もうこのままずーっと休みてぇ」と不埒なことを考えていた。

はぁ…ため息ばかりである。

第五中足骨骨折後、初の筋肉痛(受傷71日目・術後63日目)

家に帰る頃には回復が進み、もう片松葉も邪魔に思うようになってきていた。

なるべく外出機会を作るため、家族につきあってもらって食事に出かけたり、コンビニに行ったりしたのだが、松葉杖に体重をかけることはほとんどなくなり、本当に補助のみという状態になった。
脇に挟まなければならない松葉杖より、補助的な一本杖の方が便利だと思うほどで、ネットで買おうかと真剣に探したりもした。
(歩けるようになればそれも邪魔になるので、結局買わなかった)

階段も手すりを持って上ったり下りたりできるようになったが、アキレス腱の伸ばし方がどうもうまくいかない。
1階と2階を往復するしかないので、昇降の数も限られるのが気になった。

家に帰る夜には、もう松葉杖なしでご飯を食べに行き、両手をフリーにし、かつ食器を持ったままでも意外とちゃんと歩けることに感動した。
もちろん、人から見れば「ちょっと足が悪い人が歩いている」とわかってしまうことは否めないのだが、ここまでくると私自身も「これならもうじき、かっちょよく歩けるようになる」と確信が持てた。
従って、私が松葉杖を使ったのはこの日が最後である。

さて、階段の練習である。
私の住処は30階以上の高層マンションの一室であるから、最上階から1階まで非常階段で降りれば相当な運動になる。
運動不足を解消するため、元気な頃にも気が向くと階段で降りたりしたのだが、これがまた運動不足の体にはすさまじい筋肉痛をもたらす。
1週間はふくらはぎが激烈な筋肉痛に悩まされるのである。

常に運動している人にはなんてことないのだろうが、運動嫌いの運動不足には深刻である。
エジプトのピラミッド見学で半日中腰スタイルだった時も、イタリアのシェナの塔に上った時も、ミャンマーの寺院に登った時も帰国時まで筋肉痛が取れなかった。
情けないことだが、今よりずっと運動量が多かったはずの子供の頃からそうなので仕方がない。
もしかしたら、足が異様に攣りやすいことも相俟って、こうした筋肉痛のひどさも私の筋肉の特徴なのかもしれない。

ちなみに、上りでは筋肉痛はほとんど出現しない。
大腿四頭筋は人体の中でもかなり強大な筋肉で、常に運動しているせいであろうか。
ただし、上りは上りでダイレクトに心肺機能にくるので、これまた運動不足の人間には嫌なものだ。
息が切れ、汗が止まらず、何より疲労感がハンパない。

上りの疲労感、下りの筋肉痛…
どちらも嫌だが、すぐに消えるとはいえ大嫌いな疲労感や不快感を思うと、「筋肉を動かした証」と思える筋肉痛の方がまだいいかもしれない。

筋肉痛は我慢できるが、疲労感も汗をかくことも本当に嫌いだ。
運動でハイになったり、ストレスを発散・解消できる人とは、恐らく全く相容れないと感じる。

さて、まずはいきなり最上階ではなく、自分の階からエレベーターを使わずに非常階段を降りてみた。
荷物はショルダーバッグやリュックに入れて両手を開け、必ず手すりを持って、慎重に降りていく。
無論、松葉杖は使わない。

骨折部位が中足骨なので、つま先をつくことはまだ絶対に厳禁である。
踵をつけ、体重を支え、足底で蹴りだして、下段へと向かう。
はじめの3階分くらいは、とにかく足首ががちがちに固く、ガクン、ガクンと体をそのまま落としてしまう感じだった。

しかしそのまま何階も降りていくと、不思議なことに足首の硬さは取れ、普通に下っていけるようになった。
どうやら否応なく体重がかかることで、足首が自然にしなり、固い筋肉がほぐれていくようだ。
1階に到着する頃には足はすっかり柔らかくなり、その後の歩行もいつもよりスムースに歩けたような気がした。

その後、松葉杖がない状態で、2~3時間ほど街を歩き、お茶を飲んだりした。
松葉杖なしで長時間で歩いたのは初めてだったが、痛みなどの不安要素もなく、心地よく疲れたところで家に帰った。

ちなみに、この日はまたも以前職場で一緒だった人にばったり会ってしまった。
まさか退職した人にまで会うとは思わなかったが、お世話になった人なので嬉しかったのも事実である。

家に帰ればすぐに風呂。
浴槽に浸かりながら、いつもは骨折部位を動かすのだが、この時はひたすらふくらはぎをマッサージする。
風呂に入るか入らないか、マッサージをするかしないかでは大違いなのだが、どれくらい違うのかという事はわからない。

常々、もし風呂に入ったらこう、入らなかったらこう、という比較をしてみたいと思うのだが、私は世界線を超えられないため、いつも「風呂に入った私」か「風呂に入らなかった私」のどちらかしか知ることができないのは残念だ。
私の永遠の「シュレディンガーの猫」は、「ふくらはぎの筋肉痛」である。

とはいえ、風呂にも入り、念入りにマッサージもしたのに、夜になる頃にはもう筋肉痛が出現した。
ところが、この時の筋肉痛では面白いことが起きた。
私は当然、使っていなかった右足のふくらはぎの痛みが激しいだろうと予想していたのだが、右足はほとんど痛みがなく、強い痛みを感じたのは健足である左のふくらはぎだった。

無論、左足も右足につきあって、2か月以上階段昇降や歩行など、運動量が減っていたことはある。
それにしても、全く使っていなかった右足より、立ったり支えたりすることは多かったはずの左足の方が痛いものだろうか?

その理由は、すぐにわかった。
階段を降りる時、先に書いたように、右足の上げ下ろしは非常に慎重に行っている。
慎重という事は、動作がゆっくりということだ。
つまり右足の動作がゆっくりなされる間、左足はそれを待つため、全体重を支えている。
かつ、右足が次の動作に移る準備をする間も、左足が体重を支え、ふくらはぎがこらえている。
この余分な時間がはからずも運動負荷になり、左のふくらはぎにいい感じに効いていたのだ。

本当によく頑張ってくれる左足である。
逆に、右足に思った以上に筋肉痛がないのは、きちんと筋肉を「使えていない」からだろう。

結局風呂に入ろうがマッサージをしようが、翌日にはさらに激烈な筋肉痛に見舞われることになったが、それ以降も我慢して階段昇降(下りるだけだが)を続けた。
朝起きて固かった足首も、3階くらい降りると自然と柔らかくなるのが嬉しかった。
また1週間もすると、右のふくらはぎにも左足と同じような筋肉痛が現れ始めた。

右足もきちんと筋肉が動いた証拠であろう。
「あいててて」と騒ぎながら階段を下りたり、外を歩いたりしながらも、少しずつ元に戻っていく足の様子がわかると、本当に嬉しいものである。

もしいつの日か、「第五中足骨の手術をして1か月経つのに、リハビリも始まらないし固定も取れない」という人がこのブログを探してきてくれたとしたら、安心してほしい。

確かに1か月で固定が取れず、リハもないのは回復が遅い。
本当は手術をした方がいいのに、怖いとか家庭の事情とかで手術をせず、固定だけで回復を待つ人ならば1か月で歩行許可が出ないことはありうる(しかもそういう人に限って勝手に歩いてしまったりするから困りものだ)が、手術をしたならもっと早く回復するはずだ。

とはいえ、実際には私のように、妙に治りが遅い人間もいる。
症状は人それぞれなので、あまり他人と比較せず、いい人もいれば悪い人もいるくらいで考えておけばいいと思う。
受傷直後は不安でもあるし、先が見えなくて心配だろうが、私のように治りが遅くても、最後にはちゃんと治るのだから、安心していい。

私が読んだ骨折ブログは全て「術後すぐにリハ開始、1か月~1か月半でギプス&松葉卒業」だったが、このブログは「術後1か月半でギプスが取れ、やっと片松葉1/3荷重、最後までリハビリなし」である。

第五中足骨骨折で手術をしたのに、ここ以上に回復が遅いブログは見当たらなかったので、そういう意味でも治癒の多様性のひとつと捉えてほしい。

骨折を治すのは、とにかく「時間」である。
時間はかかるが、致死的な病や難病、不可逆的な障害と違い、ほとんどが治るものだ。
自分の体を労わり、安静を守り、治り始めたら無理せずリハビリに励むのが一番だと思う。

人間とは、大地をつかんで歩くもの(受傷72日目・術後64日目)

胸糞悪いなりに職場への仁義を通したので、いよいよ復帰までに問題なく歩けるよう、さらなる歩行訓練を続けることにした。

2週間後の通院まで再び実家で過ごしたのだが、その間ランチを食べに行ったり、コンビニに行ったり、外出時は片松葉、家の中はそのまま、2階へは上りのみ手すりを使って練習した(下りはまだ完ぺきではないので尻をついて降りる)

わざわざ電車に乗って家まで帰り、もう一度電車に乗って実家に戻るという訓練もした。
ちょうどファミマでバレンタイン向けの「けもフレ」イベントがあったので、グッズが残っている店舗を探し、サーバルちゃんとフェネックのキーホルダーをゲットする。ピンクのサーバルちゃんが可愛い♪

片松葉で歩くことにもかなり慣れ、なるべく「普通に歩けるように」頑張った。
しかし所謂「びっこ」からなかなか脱却ができない。

健足である左足と比べると、右の足底は全面的に体重を支えていると感じられないのである。
これはこのブログを書いている、術後3か月以上経った現在でも残る感覚だ。
多分、以前のようには小指側に力をかけていないのだろう。

そのせいか親指側に体重がかかり、ゆえに右足の第3指第2関節部分はタコのように皮膚が分厚くなる。
怪我する前は角質ケアなどサボりまくっていたが、タコは放っておくと痛くなり、歩様が乱れて変な癖がついてはいけないので、ケアは大事である。

足首は徐々に柔らかくなったとはいえ、左足の滑らかな動きとは比べ物にならない。
むくみも取れてきているとはいえ、比較すれば哀れなほど膨れて痛々しい。
足の指も、改善してきてはいるが、左足の蛇の鎌首状態とは比べ物にならないほど持ち上がらない。

回復までの道はまだまだだと思う。
本当はPTに状態を評価してもらいながら、筋力をつけたり筋肉をマッサージしてもらって歩行訓練をした方がいいのかもしれないが、何しろリハビリのリの字も出ないので、自分で考えるしかない。

そこで、いつもは意識すらしない健足の歩き方を観察すると、歩く時、足はただ地面に「置かれる」だけではないと気づいた。
スニーカーの中で足の裏の筋肉が収縮し、指は軽くしなって、まさに地面を足全体でふわっと「つかみ」、「骨をたわませ、ゆるやかに体重移動をし」、最後に指で「蹴る」のだ。

左足の動きに比べると、右足は足底をまさに地面に「置いている」だけである。
その後のスムースな体重移動ができていない。
固くなってしまった足の指は、滑らかな動きがうまくできない。
最後に蹴りだす足底のしなやかさと筋力がない。

なるほど、ただ置くだけだから、棒のような動きになるのだ。
股関節の滑らかな動き、膝のサスペンション、力強く支える筋肉と伸び縮む腱、そして踵から足先へ体重を移動し、最後に蹴りだす足底の連携があって、人は初めて歩くことができるのだと、改めて自分の体の偉大な仕組みを知ることになる。

実際、踵をつき、折れている第五中足骨を含め、無理しないように足底をしならせてから、足の指で地面を蹴る、ということを意識してみると、あら不思議、これまで外旋してしまった棒のような足が、急にいい感じの歩き方に変わったのだ。

これはなかなかの発見であった。
歩行というのは「大地をつかみ、大地を蹴る」ことなのだと改めて理解した。
多くの人はもう野生の猿のように自在に木に登ったり、木から木へ乗り移ることはできなくなったけれど、歩く時にはちゃんと足で大地をつかもうとしているのだ。

このことに気付いてから、わりと歩様が安定してきたように思う。

しかし左足に比べて右足はやはり足首が固くなっており、段差を降りる時にその緩め方がわからなくて、アキレス腱を伸ばしたまま足をついてしまったりした。
これでは二次災害を招きかねない。
右足は大昔、靭帯を伸ばしていることも影響しているかもしれない。
もしかしたら受傷した時に再度靭帯も含めて痛めていなかったとも限らない。

というわけで、次は足首問題を解決するため、実家から家に戻ることにした。
なぜなら我が家はマンションなので、非常階段を降りる訓練をすることができるのだ。

「運動不足に階段」といえば、もちろん待っているのはあれである。
そう、次は「ふくらはぎの激烈な筋肉痛」との戦いが始まるのだ。

職場への仁義(受傷62日目・術後54日目)

2月からまた1か月休暇を取るので、その前に一度職場に挨拶に行くことにした。
まずは電車に乗って実家に行く。
自動改札、エスカレーター、ホームから隙間を超えて電車に乗り込むという何段階にも渡る手順が、松葉杖の身にはドキドキである。

すいている電車なら問題ないが、殺伐とした混雑している電車にはまだ怖くて乗れない。
都心に向かう定期検診をもっと先に伸ばしたのはつくづく正解だったと思う。

また、手土産に歩いて饅頭を買いに行き、リュックに入れた。
家族が車を出してくれたので、両松葉を突いて職場を訪問する。
だが残念ながら、いつも郵便物などを送ってくれる一番会いたかった大先輩は休みで、直接の上司もたまたま休みだった。
正直、この二人以外はクズばかりなので会いたくもないのだが、一応筋は通さねばならない。

というわけで、会えたのは管理職と後輩だった。
管理職は自分も中足骨を骨折したことがあり、やはり何か月も不自由な生活を強いられたそうで、だからこそ私の重症度はよくわかると言っていた。
後輩は、もともと仕事はできるが思いやりのかけらもない人なので、当たり障りのないことを話し、あと一か月迷惑をかけると謝ってきた。

お詫びの手土産も渡し、挨拶という仁義を通したので、まぁこれで堂々とリハビリに励める。
いつも他人の悪口ばかり言っているような民度の低い連中に、へらへらしながらペコペコと頭を下げるのはあまりいい気分はしないが、松葉杖姿でヨタヨタ歩く姿を見れば、とりあえず嘘をついてサボっているわけではないと証明できたであろう。

何しろ私も、こんなに人柄や育ちや性格の悪いゲスな連中が集まる職場に配属されたのは初めてなのだ。
今後もきちんと私が働きやすいようにテラフォーミング完了するまでは、ひたすら我慢の日々である。

骨の隙間が埋まらないとか、なかなかギプスシーネが外れないとか、歩行が許可されないとか、色々と不安や疑念があってヘコんだり落ち込んだりした時期もあったのに、このたった1時間足らずの職場訪問時の嫌悪感は、それらすべてを凌駕し、受傷以来もっとも不愉快な日となった。

おかげで幸か不幸か、私の「ケガしてから治るまでの最低の日」をあっさりと上書きし、ヘコんだ時期はとっとと忘却の彼方へ去っていったのであった。

右第五中足骨骨折後の歩行訓練(受傷60日目・術後52日目)

私は基本的に散歩が嫌いである。
「趣味 散歩」という人はすげぇなと思う。
だって目的もなく歩き回るなど、あんなつまらないことはないではないか。

逆に言えば、目的がなければ外出しないし、出歩かないという事だ。
そう、ぶっちゃけ単なる出不精なのである。
旅行や買い物など、きちんと目的があればいくらでも歩くのだが(旅行中など毎日朝8時から夜中10時11時まで歩き詰めでも平気である)、普段の生活では目的もなく15分歩くことも苦痛である。

しかも日曜日や連休ではない祝日は絶対に出かけない。
疲れで翌日の仕事に響くからである。
もちろん仕事の効率などを考えてのことではなく、「仕事をする私」が疲れたらダルいからである。

しかし本格的に片松葉での歩行訓練を始めるにあたっては、外に出なければならない。
となると、出不精の私としては、何か目的や楽しみを作る必要があった。
幸運なことに病気休暇が伸びて毎日が日曜日なので、翌日の心配をする必要はない。

さて、どんなことを目的にすればよいのか…

散歩嫌いの私に、「歩くから」という理由で「公園に行く」という選択肢はない。
街っ子の私にとっては、賑やかな街中にこそ楽しみがある。
手っ取り早いのはデパートなどの商業施設に行くことだ。
物を買う、買わないは別として、様々な商品を見て歩くだけでも歩行距離が稼げる。
さらに、いつもならケチるところだが、疲れたら遠慮せず店に入り、お茶にする。

よし、これでいこう。
そうやって歩くうちに右足も徐々に歩き方を思い出してくるであろう。
ちなみに、歩き過ぎて逆に傷に悪いということは考えにくい。
なぜならそこまで頑張って歩く体力も気力もやる気もないからである。

診察翌日から早速歩行訓練を開始した。
まず初日は自分の街の駅周辺を歩いた。
スーパーやユニクロなど、面積が広めの店を見て歩くのだが、なるべく普通に歩行しようとしても、この頃はまだ足を棒のように突っ張っているのがわかった。

骨折でなくとも、靭帯を傷めたり捻挫や打ち身で痛い思いをした人ならわかると思うが、いわゆる「外旋」する歩き方になってしまうのだ。
足の悪い人が、歩く時に悪い方の足を前ではなく、外側にぴゅっと投げ出して歩くあの姿である。

いやー、これには参った。
何しろ思った以上に「普通に」歩けない。

自分ではちゃんと歩いてるつもりでも、ひょこたんひょこたん体が揺れている。
真っ直ぐに右足を運ぼうとしても、気づけば外に投げ出されてしまう。

痛みやしびれ、力が抜けるといったことは全くないし、歩き続けても疲れることはないが、歩様はまだまだである。
階段はまだ練習していないが、恐る恐るエレベーターには挑戦してみた。
前後の人と十分間を取り、乗降時につまずいたりしないよう細心の注意を払う。

初日なので2時間くらい歩いたところで終了し、ドトールで休憩することにした。
松葉杖を突く私を見て、バイトのお姉さんは親切にも「席までお持ちします」と言ってくれた。
ドトールはこれまでにも、車椅子の人や杖歩行の人に親切で気が利く店員さんが多いと思っていたが、いざ自分が対象になってみると、こうした申し出は本当にありがたいことである。

ゆっくりと体を休めて、店を出る時、食器を片付けようと店内を歩いていると、ちょうど私とクロスする形で杖を突いたおじいさんとバッティングしてしまった。
いつもなら私が道を譲るのが当然だが、松葉杖でヨタヨタ歩く私を見て、杖を突いているおじいさんの方が避けようとしてくれた。

今後は杖を突いている人が食器を運ぼうとしていたら、積極的に「お持ちしましょうか」と声をかけようと思う。
自分が弱者になって初めて、人に助けてもらうことがどれほどありがたいかわかるとつくづく思い知る。

「店員にまかせればいいじゃん」ではなく、若い皆さんもぜひ自分から動いてほしい。
健常な人は子供連れや体が不自由な人、高齢者を煙たがることなく、また、そういう人たちも街中で図々しく胡坐をかくことなく、お互いに思いやりをもって共存できたらいいと思う。

こうして1日目は終了した。
家に帰ってすぐに風呂に入り、久々に歩いた右足、サポートで頑張ってくれた左足を労わる。
歩いたためかいつもよりむくみが出たが、風呂に入ることで血流がよくなり、すぐに改善した。
足よりも不自然な姿勢を正そうとしたせいか、左の腰が痛い。
それ以上に、安全を確かめ、あちこちに気を配りながら歩くため、緊張感でぐったりした。

今は頼りの松葉杖があるが、果たして何もなくてスタスタと歩けるようになるのはいつなのか。
この調子ではまだまだ先になりそうだ。

第五中足骨骨折の右足、1/2荷重へ(受傷59日目・術後51日目)

さて、診察日である。
既に受傷してからまる2か月、手術を終えてからも50日以上経過している。

この日はスニーカーを履き、片松葉で家を出た。
雪は8割方融けており、よほど北向きの細い道でない限り、私の歩行を妨げることはない。
歩行訓練はあまりできなかったが、家の中は片松葉で移動し、もう膝で立つことはほとんどなくなっていた。

しかし、まず向かったのは病院ではない。
病院が始まる時間まで、少し歩いて障害者団体が運営している喫茶店に向かったのだ。
何しろ受傷後、お店に行くのは初めてである。
なぜこの店にしたのかというと、何よりもバリアフリーであることが第一だ。
そして、車椅子の人も多いお店の人たちが、今の私のような身体が不自由な人に慣れているからである。

私はそこでエビピラフとカフェオレを注文した。
エビピラフは思ったよりボリュームがあるし、いつもながら煮えたぎるように熱いカフェオレは身に沁み、ほぼ2か月ぶりにようやく自力で店に来ることができるようになったと感無量であった。

やがて診察開始時間になったので、病院に向かう。
そしていつものように傷の状態を見たが、この日はなぜかレントゲンを撮らなかった。
私が、先週から荷重を始めても痛みはなく、特に問題ないと答えると、先生はおもむろに患足を手に取って言った。

「じゃあ、思いっきり押し返してみて」

そしてそのまま踵をぐっと押し込むではないか。
固い足首が押し込まれてアキレス腱がぐっと伸び、なかなか気持ちがいい。
私は足先を伸ばそうと足に力を入れた。
先生は男性だが、両腕の力よりは私の足の力の方が強い。
「今度は足の先を伸ばそうとしてみて」
私が勝利すると、今度は逆に足先を伸ばし、私は足先を上に向けようと力を込めた。

「うん、いいね」
十分な力があるとわかり、先生がそう言ったので終わりかと思ったが、次の瞬間、私の呼吸が「うっ」と詰まった。

なぜなら先生はそのまま、私の右足の指5本を、力強く上に折り曲げたからだ。
曲がったのはいわゆる足の指と中足骨の繋ぎ目の部分である。
絶賛骨折中の第五指も、もともと曲がりにくい指なのに容赦ない。

足の指は、風呂に入った時、一本ずつ持って、グルグル回したりそっと上を向けたりはしてきた。
とにかく慎重に、優しく、急激に首を起こすようなことはしてこなかったのに、今回いきなりぐっと曲げられたのだ。

痛みまではいかないが、使わなかったために筋肉はどこもかしこも固くなっているので、想定外の動きにびりっと神経がしびれるような感覚があった。
何よりいきなりのことに心臓が飛び上がりそうだったが、素人にやられたわけではないので大丈夫…だろう…とすぐに落ち着きを取り戻した。

「うん、いい感じだねー」

私のビックリドッキリも知らずに、先生はのんきに言った。
まこと、歯医者同様デリケートな痛みが伴う診療科であるのに、整形外科は結構乱暴である。
また、雪で外を歩けなかったのでタオルギャザーをやっていると伝えると、それはとてもいいとのことだった。

「何よりいいのはね、女性は骨折が治ってきても、むくみが取れない人がすごく多いんだよ。けどになになさんはむくみがほとんど解消してるから、すごいよね。珍しいよ」

なんと、骨折の治りが悪くてさんざん悩んでいたというのに、突然褒められてこれまたビックリである。
どうやら日々風呂に入って足をほぐしたのは無駄ではなかったようだ。

確かに、数多くの骨折ブログの中でも、男性はそもそもむくみになど言及することすらないが、女性は載せる写真のほとんどが、骨折がよくなってからも、むくみが解消していなかった。
健常な人でも女性の多くはむくみを気にするのだから、体質的な男女差なのだろう。
まさか遠回しに「むくみが取れてる=女じゃない」と言われたわけではないと思うので、素直に喜んでいいのだろう。

そんなわけで、骨はまだまだくっついていないものの、順調に1/2荷重が許可された。
先生からは「まだ松葉杖使う?」と聞かれたが、慌てて「使います!」と答えた。
いくらなんでも今取り上げられたら困る。
「まぁそうだよね。気を付けて歩いて。歩けばよくなるからね」

それから先生は「あとねー、どうする?ボルト抜く?」と聞いてきた。
まだ骨の隙間がスカスカの状態なので先の話かと思っていたから、やや面食らった。
「小さいから抜かなくても平気だと思うけどね」
「はぁ。ただ私はよく海外旅行に行くので、変なところに行くとひっかかって厄介かなと」
「ああ、英文の診断書とか持ってかないとね」
「ヨーロッパとかなら英語で説明できると思うんですけど、大体変なところに行くんで、ツアーなんかでピンコン引っ掛かって迷惑かけたらと思うと…」
「なるほどね」
「抜く方向で行きたいですね」
「抜くとしたら…そうねー、夏が終わってから、9月以降かな」

そんな会話ののち、抜去時期についてはまた次回以降に相談することにした。
どちらにせよ、抜くとしたら手術をした病院に1日入院しなければなるまい。
療養も含めて仕事の調整が必要なので、まだ骨がくっついてもいない今、すぐに決められることではない。

次は今までより間隔があき、2週間後にレントゲンを撮るということで診察は終了した。
もちろんそれまでの間に痛みや異常を感じたらすぐに来るようにとのことである。
少しずつ治癒に向かっていることを実感しつつ、雪も融けたことだし、いよいよ本格的に片松葉での歩行訓練を始めることになった。

ちなみに診察後、スーパーへ行った。
12月と違い、許可が出ての片松葉なので、当時より安心して歩ける。
カートを押しながら必要なものを買い、リュックに入れて自分で持ち帰れる幸せ。
もうネットスーパーを利用する必要はない。
自分で自由になんでもできるということがいかに素晴らしいか、しみじみと感じたものである。

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